医学講座
美唄びばいへの思い
今日は2023年7月3日(月)です。
昨日の院長日記、
北海道せき損センター美唄市外に移転案で、
私が小学校2年生の終わりから、
中学校1年生の5月まで過ごした、
美唄びばいのことを考えてみました。
今でも私は美唄市が好きです。
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札幌から美唄に引っ越したのは小学校2年生でした。
最初は札幌に帰りたいと思っていましたが、
美唄が好きになりました。
美唄市は、明治の北海道開拓の時代から、
屯田兵が入植し開拓をした町です。
美唄は、アイヌ語のカラス貝の多いところという意味の
ピパオイに由来します。
北海道にはアイヌ語由来の地名が多いです。
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子供だった私は、
仲良しだった荒木田和生あらきだかずお君と、
よく小川で魚を釣ったり、
網ですくったり、
近くの山へ行って、
春は福寿草、
秋にはきのこを採りました。
楽しい少年時代の思い出です。
私が山や自然が好きなのは、
この頃の体験のためかもしれません。
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私が小学生だった約60年前には、
美唄びばいは炭鉱の街でした。
残念なことに炭鉱が閉山して、
人口は減りました。
ニトリさんも美唄店はありません。
空知管内には岩見沢店と滝川店があるだけです。
人口約2万人の美唄市には、
いいところがたくさんあります。
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美唄やきとり_福よしのやきとりはとても美味しいです。
美唄聖華高校からは、
たくさんの優秀な看護師さんが育っています。
美唄ファンの私は、
北海道せき損センターは美唄市外に移転すると考えて、
美唄市立病院を効率的に運用するのがいいと思います。
残念ですが、
美唄市外に移転するのは確実だと思います。
向かって左は、荒木田和生くんです