院長の休日
75歳の手習い
私の両親、
父親(83歳)
母親(81歳)
がパソコンでメールをしていると、
昨日の日記に書きました。
父親は私が中学生の頃、
三菱砿業㈱三菱大夕張炭鉱に、
薬剤師として勤務していました。
会社が坑内の安全管理のために導入した、
最新鋭のコンピューターで、
薬剤の在庫管理を始めたのがきっかけで、
コンピューターに取り組みました。
■ ■
毎日、コンピューターと悪戦苦闘していました。
今のノートPCより機能が悪いコンピューターが、
専用の部屋に設置されて、
エアコンまで完備されていた時代でした。
大変だ、たいへんだ
コンピューターはすごい
これからはコンピューターの時代だ
ということを、
40年前に言っていました。
炭鉱には、
優れた人材が揃っていました。
炭鉱会社の専門家から、
コンピューターを教えていただいたのが父です。
■ ■
濱本淳二先生にお世話になった、
上原貢様も、
父にコンピューターとコンピューターで知り合った、
三菱砿業㈱職員のお一人です。
NHKの大学講座で法律を勉強した父は、
独学でコツコツ勉強したのでしょう。
炭鉱病院で、
当時としては画期的な、
薬剤在庫管理システムはじめました。
退職後も、
父はノートパソコンを使っていました。
■ ■
母親は、
ごくふつうの主婦でした。
家計が苦しかったので、
森永製菓の工場のパート従業員→
→不況でリストラ→
日本団体生命保険の外交員→
三菱信託銀行の財形貯蓄の外交員→
北海道不動産鑑定士協会のパート事務員
と働きました。
家計が苦しかった原因は、
私と弟の教育費でした。
■ ■
母親は働いたおかげで、
たくさんの人脈を築きました。
最後に働いていた時代には、
コピーを取るのが仕事でした。
PCには触ってもいませんでした。
もちろんワープロも使えませんでした。
電話とFAXは活用していましたが、
父親のノートパソコンには、
見向きもしていませんでした。
■ ■
今から6年前、
75歳頃だったと記憶しています。
何を考えたのか…?
突然、パソコンを触りはじめました。
もちろんキーボードも、
スイッチの入れ方も知りませんでした。
ぽちポチと、
あ・い・う・え・お
を入力していました。
■ ■
どうせやるなら、
ローマ字変換がいいよ、
という私と父のアドバイスで、
ローマ字かな変換にしました。
本人に確認したところ、
まず忘れていた…
ローマ字を覚えることから…
はじめたそうです。
こうして少しずつ、
パソコンを覚えて行ったようです。
■ ■
今では、
メールに写真を添付して送ったり、
自分の弟たちと、
メールでやり取りをしたり…
父親以上にパソコンを活用しています。
昨日も、
自分の弟(79歳)からメールで送ってきた、
写真を見せてくれました。
私はたまにしか実家へは行かず、
親にメールもしません。
息子としては…
75の手習いで覚えたパソコンで、
元気でいて欲しいと願っています。
私の住んでる近くにも鉱山がありました。 閉山してから そこの同級生は 九州の炭鉱町に転校していったのを覚えています。 病院はなかったと思いますが 診療所はあったかもしれません。 でも お父様もお母様も 意欲的で お年寄りの見本のような方ですね。いつまでもお元気でお過ごしください。お父様お母様を見習って 私も頑張らねば! 家の父 母は手先は器用ですが 機械はまったくだめです。 父の趣味はグランドゴルフ・魚釣り・観賞用鉢植え菊の栽培です。
多分先生のご両親のほうが私よりメールの技術は上だと思います。
最近メールソフトをアウトルックからプロバイダーのネットメールに変えただけで、一苦労で…
写真の添付もうまく圧縮して出来なくって結局写真の添付は携帯に頼ってしまったままです(汗)
正直、先生のお父様には脱帽です。
今日行った書道展で、受付の70代くらいのご婦人の旦那様もパソコンを使用するとのことで、ブログのURLをメモしたところ見てみます・・・と言っておられて、素敵だな!!と脱帽です。
いつまでもお元気でパソコン続けてください!!
先生のご両親は素晴らしいですね。写真を添付してメールを楽しんでおられるなんて…これからもお元気でご活躍下さい。
私の家族ではパソコンが出来るのは私だけです。母は携帯のメールはしますが、それ以外は機械に疎く、妹(札幌在住)も会社でパソコンを使っているから家に帰ってまでパソコンを使うのは嫌みたいで持っていません。
録画も面倒くさがり、観たいテレビがあると「録画、お願い!」と携帯メールがきます(笑)
パソコンでも何でも新しいことに興味を持ってチャレンジする事が若さを保つ秘訣だと思います。