昔の記憶

こどもの頃の夢 バナナ

 今日は2022年7月1日(金)です。
 早いもので2022年も半分終わってしまいました。
 コロナ禍
 ウクライナの戦争
 円安
 いいことがない2022年前半でした。
      ■         ■
 私がこどもの頃、
 バナナをお腹いっぱい食べたい
 …というのが夢でした。
 15年前の2007年2月1日の院長日記に書いてあります。
 私が小学生だった昭和39年(1964年)は東京オリンピックが開催された年でした。
 まだ自家用車がとても珍しい頃でした。
 当時はバナナが高級品で、めったに口にできませんでした。
 バナナが食べられたのは運動会お祭りの頃だけだったような気がします。
 一本のバナナを大事にだいじに食べた記憶があり、
 バナナを腹いっぱい食べられたらどんなに幸せだろうと思っていました。
 ですから今でもバナナが好きですし、
 バナナ一本でも黒くなって捨てるのはとてももったいなく思っています。

      ■         ■
 ありがたいことに、
 バナナはとても安くなりました。
 本間家では、
 毎朝、りんごと一緒にいただいています。
 こどもの頃に夢だったことで、
 実現できていることの一つです。
 今一番の希望は、
 一日も早くウクライナの戦争が終わってほしいことです。
 かわいそうで見ていられません。

“こどもの頃の夢 バナナ”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    バナナ、昔は高級品でしたね。
    子供の頃に食べた記憶がありません。

    今は安価で美味しいですね。

    戦争、早く終わって欲しいです。
    悲劇です。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。つまらない夢で申し訳ありません。私が子供の頃はバナナが高級品で、バナナをお腹いっぱい食べられたらどんなにうれしいかと本気で思っていました。今の子供たちにはわからないと思います。早く悪夢の戦争が終わってほしいです。これ以上、悲惨な映像を見たくないですし、ウクライナの人を助けてあげたいです。

  2. さくらんぼ より:

    あまり疲れて朝はバナナしかのどを通りません。
    さくらんぼのハウスも剥がさないまま、葡萄のつぶ抜きをピンセットでしています。とにかく暑い!
    バナナは子供の頃病気の時しか食べられませんでした。
    黒くなったバナナは皮を剥き割り箸を刺してアイスにします。
    父が東京の市場に仕事で行くとお土産はいつもアメ横のバナナでした。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    お疲れのところコメントをいただきありがとうございます。昔はバナナが貴重品でした。猛暑の中での作業、ほんとうにお疲れ様です。果樹園にエアコンをつけて差し上げたいです。お身体に気をつけてください。お父様のお土産にアメ横のバナナはいい思い出ですね。

  3. えりー より:

    先生の日記を拝見して 
    帰り道でバナナを買ってきました。
    私も好きな果物のひとつです。

    子供の頃、祖母から戦争中の話しを
    何度も聞きました。食べ物も何もかも
    貧しく苦しい状況、
    そして絶対に戦争はダメと話して
    いました。

    ウクライナの戦争が終わって、
    人の心が豊かになってほしいです。
    食べたいものを安心して食べてほしいです。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。つまらない記憶なのにわざわざバナナを買っていただきありがとうございます。私が好きな果物のひとつです。子供の頃の夢はバナナをお腹いっぱい食べたいと思っていました。ウクライナの人たちがほんとうにお気の毒です。一日も早く戦争が終わってほしいです。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ