昔の記憶
良妻賢母
古い言葉です。
良妻賢母
亡くなられた、
大浦憲子様は、
誰もが口をそろえて…
良妻賢母のお手本のような女性
…と言われます。
■ ■
ある時、大浦先生の奥様から、
矢野雋輔先生のことを伺ったことがありました。
矢野先生が北海道社会貢献賞を受賞された時に、
藤学園の藤の実会がお祝いの会を開催されました。
その会のことです。
■ ■
私はその当時、形成外科専門医を取得し、
釧路労災病院形成外科で働いていました。
北海道新聞でお祝いの会があることを知りましたが…
勤務の都合で出席できませんでした。
手紙とお祝いを…
藤の実会事務局へ送りました。
■ ■
文面は忘れてしまいましたが、
矢野先生、北海道社会貢献賞受賞おめでとうございます。
私は今、道東の釧路労災病院で働いています。
私が医師として働けるようになれたのは、
予備校時代に矢野先生に教えていただいたおかげです。
先生が教えてくださった自然科学の素晴らしさは、
今までに聴いた講義の中で最高です。
ご恩は一生忘れません。
釧路労災病院形成外科医長
本間賢一
■ ■
こんな内容だったと思います。
もう30年以上前のことです。
この私の手紙を、
藤の実会事務局の方が会場で読み上げてくださったそうです。
藤学園の卒業生である、
大浦憲子様は会場にいらして、
私(本間賢一)のことだと気付き…
後日先生のお手紙素晴らしかったです
…と教えてくださいました。
■ ■
大浦憲子様は矢野先生の教え子だったのです。
きっと真面目な女子学生だったに違いありません。
自然科学の素晴らしさも…
栄養学もしっかり学ばれ…
大浦武彦先生を支えられ…
お二人のご子息を立派に育てられました。
とても字がきれいで美しい方でした。
■ ■
うちの奥さんは…
残念ながら…
良妻賢母ではありません。
よく私と喧嘩もしますし、
息子からは『お母さん何やってんの?』
…と言われています。
家内が大浦先生の奥様を、
見習おうとしているのはわかりました。
大浦憲子様からいただいたお礼状は、
お手本として本間家に大切に保存しています。