昔の記憶
松山善三さん逝く
平成28年9月4日、朝日新聞朝刊の天声人語です。
松山善三さん逝く
はなはだしい「格差婚」である。雑用に追われる若い助監督松山善三さんの月給は1万2,500円。妻の俳優高峰秀子さんの出演料は映画1本で100万円級だった。
▼中学生のころから高峰さんにあこがれ、ブロマイドを持ち歩いた。友人に誘われて脚本家の卵になり、撮影現場で高峰さんと出会う。「高峰さんと付き合わせてください」と監督に頭を下げると一喝された。「身の程(ほど)を弁(わきま)えなさい」(斎藤明美著「家の履歴書 文化人・芸術家篇」)。
▼初デートは銀座の高級料理店。並んだナイフやフォークを見て「使い方がわからない。先に食べてください。真似(まね)しますから」。正直さが高峰さんの心をつかんだ。1955(昭和30)年に結婚する。
▼芸能マスコミからは「3年ともたないのでは」とささやかれたが、屈指のおしどり夫婦となった。松山さんのエッセーを読むと、えぐみも含んだ深い愛情が感じられる。妻を「負けず嫌いで、頑固一徹、明治生(うま)れの爺(じじ)ィに似ている」と評しながら、同時に「大恩人」とあがめていた。
▼監督として弱い立場にある人々の命が輝きを放つ映画をいくつも残した。デビュー作「名もなく貧しく美しく」では耳の聞こえない夫婦の暮らしを描いた。「典子は、今」は薬害により生まれつき両腕を持たない女性の歩みを追って大ヒットした。
▼高峰さんが旅立って6年、松山さんが亡くなった。91歳。いまごろは、水入らずの時を楽しんでいるにちがいない。「格差」を補って余りある夫婦愛だった。
(以上、朝日新聞より引用)
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知りませんでした。
月給12,500円の男が、
映画一本100万円の大女優に恋をして、
みごとに♡結婚♡はすごいです。
その後はどうだったのかなぁ~?と思います。
妻を「負けず嫌いで、頑固一徹、明治生(うま)れの爺(じじ)ィに似ている」
と評しながら、
同時に「大恩人」とあがめていた。
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奥さんの方が有名で、
お給料がいいと、
大変なんだろうなぁ~と思います。
私も結婚する時は、
奥さんの方が3倍くらいお給料がよかったです。
北大病院の研修医の給与は、
当時は10万円程度でした。
奥さんはお給料がいい会社に勤務していました。
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私の記憶が正しければ、
違いが分かる男のコーヒーに、
確か松山善三さんが出ていらしたと思います。
映画は見たことがありません。
天声人語に書いてあった、
格差を補って余りある夫婦愛
…という言葉がいいです。
心からご冥福をお祈りしています。