医学講座

コロナでも普通の葬儀ができるはず

 今日は2020年5月23日(土)です。
 昨日、ネットでとても興味深い記事を見つけました。
 東洋経済ONLINE 解説部コラムニスト大崎明子さんの記事です。
 新型コロナでも「普通の葬儀ができるはずだ」
 ウイルス専門家の西村医師が現状を問題視
 大崎明子:東洋経済ONLINE、解説部コラムニスト

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 2020年5月12日の国立病院機構仙台医療センター・臨床研究部ウイルスセンター長の西村秀一医師へのインタビュー記事『「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題』は読者から大きな反響をいただいた。その直後に、西村医師から「話したいことがある」と連絡を受けた。その内容が、本インタビューだ。「ひとりの人間として、これでいいのかと思う」とし、そして何よりウイルスを扱ってきた立場から、「新型コロナで亡くなった方の遺体の扱い、葬儀の仕方は間違っている」という。
 「納体袋に密封」はひどすぎるし必要ない
――新型コロナに罹患して亡くなった場合、遺体から感染するリスクがあるとされ、遺族は通常のようなお葬式はできないのが現状です。タレントの志村けんさんや岡江久美子さんもそうでした。
 大きな問題だし、ものすごい憤りを覚えている。結論から言えば、普通のお葬式ができるはずだ。家族が最後のお別れもできず火葬にも立ち会えなかったという報道は、衝撃だった。日本中でそんなことが行われているのか。それは悲しみに暮れる遺族の心をさらに踏みつけるような仕打ちだ。
――厚生労働省からの通知が出ているのですね。
 現状では厚労省から自治体に事務連絡として指導が出ており、自治体から病院に通知が出ている。それによると、看護師は「防護服を着て遺体を保健所から届く非透過性の納体袋に入れて密封し袋の表面を消毒して、防護服を着た人が搬送して、そのまま火葬する」こと、そしていったん袋に入れたらもう袋は絶対に開けてはならないことになっている。
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しかし、私はそもそも袋などいらないと思うし、さらに密封する必要などないと考えている。納体袋というのは亡くなった人への敬意が感じられないひどいものだ。遺体を扱う葬儀社の人たちまでもがなぜ防護服を着なくてはならないのかも疑問だ。
私は遺体から感染する危険などないと考えている。この病気は、主に感染した人の口から出る咳やくしゃみ、あるいは場合によっては、呼気によって体外に排出される飛沫由来のエアロゾルと呼ばれる微細な粒子に含まれるウイルスをほかの人が吸い込むことによってうつる。
 「息をしない」遺体からは感染しない
 遺体が咳をしたり息を吐き出したりするわけはないので、うつる心配はない。亡くなった直後に人工呼吸器を外すなどの過程で飛沫が体に付くことはある。だが、遺体を看護師さんがアルコール綿でていねいに拭いてあげれば何の問題もない。
遺体からうつることは考えにくいと言ったが、例外はもちろんある。例えば特殊な事情で遺体内部が腐乱してガスがたまって、それが吹き出すリスクがあるというのであれば、それは問題だ。最近、司法解剖がなかなかすすまないという話もあるが、そうしたことも理由のひとつになっているのかもしれない。
 しかし、病院で亡くなってすぐの人についてはそんな問題はありえない。体内にウイルスが残っているから危ないという「専門家」がいるそうだが、それが肺からどうやって出てくるというのか。
 お棺を開けて普通にお別れできる
――だとすれば遺族の気持ちから言っても、死者の尊厳という意味でも現在のやり方は改めないといけないですね。
 そうです。遺族はもちろんのこと、病院にも動揺が広がっている。それまで頑張って病気と闘っていた患者さんへの敬意があり、看護師たちにはきれいにエンゼルケア(体の清拭、身なりを整えたり、メイクをしたりすること)をしてあげて見送りたいという気持ちがある。こうしたケアを普通に行って、家族の元にお返しすべきだし、葬儀でも顔を見てお棺に花などを入れて通常のお別れをすることはできる。
 たとえ万が一拭き残しがあったとしても、遺体に触らなければ何の問題もなく、また手袋をしてその処置をちゃんとすれば触っても問題はない。そのくらいのことは常識ある大人なら理解できることではないか。
――インフルエンザではこんなことはしていませんよね。
 新型コロナよりも怖い病気はいっぱいあるが、遺体について今回のような扱いはしていない。たとえば、多剤耐性の結核(薬の効かない結核)だとか、エイズだとか、肝炎で亡くなった場合でも今回のような指導はしていないし、それで遺族に感染したという話は聞いたことがない。新型のインフルエンザが出現したときもそんなことはやっていなかった。通常のインフルエンザでも毎年たくさんの人が亡くなっているが、そんなことはしていない。なぜ今回は別なのか。
 厚労省のQ&Aは納得できないことだらけ
――自治体から病院や葬祭業者への通知、厚労省から自治体への事務連絡を見ても、厚労省のホームページにある「新型コロナウイルス感染症に関するQ&A」の「関連業種の方向け」「遺体等を取り扱う方へ」の内容が基本になっているようです。その基になっているのは「新型インフルエンザ等対策ガイドライン」(2013年6月26日、2018年6月21日一部改定)ですね。
 この中の記述にはいろいろと疑問がある。「遺体からの感染を防ぐため、遺体について全体を覆う非透過性納体袋に収容・密封することが望ましいです」「遺族等の意向にも配意しつつ、極力そのままの状態で火葬するよう努めてください」という文言があるが、それらについては先ほども言ったように、遺体から感染なんてしない。こんな状態で、「遺族等の意向に配慮」しようがないでしょう。
 また、「血液・体液・分泌物(汗を除く)・排泄物などが顔に飛散するおそれがある場合には、不織布製マスク、眼の防護(フェイスシールド又はゴーグル)を使用してください」って書いてあるけど、飛散するようなことは起きないでしょう。いったい何がどう飛散するのか、どういう事態を想定しているのかと問いたい。何度でも言うが、「亡くなった方は息をしない!」。
――その一方で、ここにははっきりと「火葬に先立ち、遺族等が遺体に直接触れることを希望する場合には、遺族等に手袋等の着用をお願いしてください」と書いてあります。
 手袋着用で触って問題がないのなら、なぜ、納体袋への密封を指導するのか。記述に矛盾がある。その後ろには、「万が一、遺体の体液等で汚染された場合など」と出てくる。通知のほうにも「万が一」と恐ろしげなことばかり書いているから、業者はそちらのほうに忖度せざるをえず、画一的な対応をとっているのではないか。
――また、厚労省のQ&Aの下には、「感染症法に基づく消毒・滅菌の手引き」を挙げて、「エボラ出血熱参照」とあります。
 エボラ出血熱は現在は「エボラウイルス病」と表記される。恐ろしい病気だが、空気感染はせず皮膚の傷口や粘膜を介した接触感染でうつる。この病気は症状としてここ数年までは体のあちこちからの出血が顕著だった。それなのに、アフリカではお別れに遺体にキスしたり、亡くなった人のからだを素手でさすったりと、風習上の問題が原因で感染が拡がった。新型コロナウイルスはこれとはまったく違う。画一的にエボラウイルス病の接触の問題をそのまま当てはめるのは適切ではない。
――イタリアでも亡くなった後に遺族が会えなかった、そのまま火葬場に持って行かれたということが問題になっています。
 海外と比較して云々する報道が今回はこれ以外にも多いが、この問題に関していえば宗教上、文化上の違いもあり、比較しても仕方がないと思う。1918年のスペイン・インフルエンザのパンデミックでも国や地域によって違いがあった。感染管理上の問題がないのなら、日本は日本のやり方を考えてもよいはずだ。
 「脅しすぎ」から「恐れすぎ」に
――葬儀業者は防護服を着ての霊柩車の消毒を行うなど、神経をすり減らしていると報道されています。
 葬儀業者もある意味、「脅しすぎ」の犠牲者だ。そんなことまでする必要はまったくないと断言できる。前回もお話ししたが、例えば、一般社会においてエレベーターのボタンを直接指で押すことはやめましょうとか、しょっちゅうドアノブを拭きましょうとか、スーパーマーケットのプラスティックパックの表面をアルコールで消毒しましょうとか、今回の新型コロナはウイルスであるのに細菌であるかのように語られていることが多い。それが一億総強迫神経症のような混乱を引き起こしている。
いったい、どうやったら棺や霊柩車が感染を引き起こすほどのウイルスで汚染されるというのか。冷静に考えて理性的に物事を決めてほしい。
 細菌はそれ自体が自立性の細胞なので条件が揃えばそれ自身で増えるが、ウイルスは細菌のように自立して増えることはできず、他の細胞、それもそのウイルスに適した極めて限られた種類の細胞に入り込まないと増えていかない。ウイルスは体の外に出た後もいつまでも生きているように言う人がいるけれども、それは大きな誤りで、外に出た状態にもよるが時間経過とともにどんどん失活していく。
――物の上で数時間生きているとか、数日生きているとか言われて皆、消毒に神経質になっています。
 プラスチック上で4日という話が独り歩きしているが、それは大量のウイルスを生き残るための最適に近い条件においた実験での話で、一般の社会生活とは別の話だ。実験データをきちんと理解しておらず論文をまともに読んでいない「専門家」の説明を鵜呑みにしている。
 ウイルスは時間の経過とともに、大きく減っていく。実験条件によって1時間から3時間ぐらいで半減し、そこからまた同じ時間で半減するので、よほどたくさんのウイルスがいないと長時間残らない。たとえ少し生き残ったとしても、それを指で触って指に移る効率はかなり低いし、さらにそれが感染につながるまでの間にウイルスは死ぬ。
「よほどたくさんの」というのは、たとえば咳やくしゃみで落下する液滴レベルではそこまでに達しないし、感染者がマスクをしていれば、それすらないと断言できる。感染した人が故意に自分の咳やくしゃみや唾液を手に吐き、それを塗り付けるくらいのことをしないと無理だ。それはテロ行為ともいえる。われわれはテロを警戒しているのか。
 何度も繰り返すが、理解して欲しいのは、生きている人の体内には病原ウイルスはいるが、環境にはほとんど存在しないということ。感染者がいる病室のような場所以外では問題にならない。そんじょそこらに危険なウイルスがまき散らされていて、それによる感染の「可能性は否定できない」という言い方をする「専門家」が多い。だがそれは間違っている。
 可能性が「ない」ことを証明することは悪魔の証明ともいわれ至難の業であり、それこそ不可能である。それが「ある」という側が実例をもって証明すべきである。棺でもいい、スーパーの包装でもいい。一般の環境にウイルスがいると言い張る人たちはぜひ一般環境から生きたウイルスが検出されることを、環境調査をやって証明してほしい。
 蛍光塗料による実験はミスリード
 私は以前、新型インフルエンザの流行期に環境調査をやってみたことがあるが、何度やってもまったく検出できなかった。その代わり細菌はうようよいた。テレビに出てくる「専門家」はみな細菌しか頭にない。
彼らが視覚に訴えるためによくやる手だが、蛍光塗料で代用して見る環境のウイルス汚染の映像がある。だが、ウイルスは蛍光塗料とはまったく別物である。蛍光塗料を手にべったり付けるほどの量、あるいは空中に噴霧してあちこちの壁にまんべんなく付着するほどの量のウイルスを人は出していない。出ているのはそれらに比べたらきわめてわずかということになり、さらに感染性の点から見れば、体から出たそのわずかな量のウイルスもその後時間とともに失活し(死んでいき)感染性は失われる。
あのような映像とそれを用いた説明は、一般の人びとを、あるいはもしかしたら彼ら自身をもミスリードしている。
 西村秀一(にしむら・ひでかず)/1984年山形大学医学部医学科卒。医学博士。米国疾病予防管理センター(CDC)客員研究員、国立感染症研究所ウイルス一部主任研究官などを経て、2000年より現職。専門は呼吸器系ウイルス感染症。『史上最悪のインフルエンザ―忘れられたパンデミック』(みすず書房)、『豚インフルエンザ事件と政策決断―1976起きなかった大流行』(時事通信出版局)、『インフルエンザ感染爆発―見えざる敵=ウイルスに挑む』(金の星社)などの訳書や論文執筆多数。

(以上、東洋経済ONLINEより引用)

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 私もずっと変だと思っていました。
 西村先生がおっしゃるように、
 新型コロナよりも怖い病気はいっぱいある
 たとえば多剤耐性の結核(薬の効かない結核)

 実際に病院の現場で院内感染対策を経験したことがあれば、
 アルコール消毒で退治できるコロナは、
 ばい菌としてはちょろいのです。
 結核菌は抗酸菌なので、
 簡単には退治できません。
      ■         ■
 厚生労働大臣は西村先生のご発言を真摯に受け止めて、
 新型コロナの取り扱いを変更してほしいです。
 志村けんさんや、
 岡江久美子さんが亡くなった時に、
 TVに映ったご家族の悲しい表情を忘れられません。
 間違った取り扱いはすぐに変更してください。

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