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4プラ解体、足りぬ移転先

 今日は2021年4月2日(金)です。
 昨日の4プラ来年1月末に営業終了し解体
 …の続きです。
 今朝の北海道新聞の記事です。
 テナントさんは困っているようです。
 4プラ再開発見えぬまま 来年1月閉館 札幌・大通地区、足りぬ移転先
 札幌・大通地区の商業ビル「4丁目プラザ」(4プラ、中央区南1西4)の来年1月末での営業終了が決まり、コロナ禍による売り上げ減に悩むテナントは売り場まで失う事態に見舞われる。老朽ビルが多い同地区は再開発計画が相次いでいるが、4プラは近隣施設との一体開発構想が実現せず、計画が具体化しないまま、耐震不足で閉館発表となった。地下街にも直結した好立地で若者らに親しまれた約70のテナントは移転先探しを余儀なくされている。
 「街の中心部で雪や雨に当たらずに来てもらえる好条件の場所はほとんどない」。4プラでエステを経営するフレアー(札幌)の玉川晋太郎代表取締役は、運営会社から数日前に閉館を知らされ頭を抱える。市内に計3店舗を構える同社にとって4プラ店は売り上げの要だ。顧客と従業員の雇用を守るため移転先を探し始めたが、「札幌駅側に行くと賃料が高くなる」(玉川氏)と困惑を隠さない。
 カプセル入り玩具の自動販売機「ガチャガチャ」の専門店を出店するトーシン(帯広)の担当者は、3月31日にファクスで閉館を知り驚いたという。「コロナ禍で客足が見通せない。近隣へ新たに出店するのはリスクが高い」(同社)。今後は全くの白紙だ。
 運営会社4丁目プラザ(札幌)の広川雄一社長は記者会見で、解体方針は耐震診断後の2018年ごろ固め、隣接する商業施設「ピヴォ」(南2西4)を含めた一体開発を模索したことを明かした。だが「それぞれの事情があってタイミングが合わず」(広川氏)、ピヴォは道外のビル賃貸大手と組んで隣接地も含めて複合ビル化する方向に。4プラは単独開発にかじを切ることになった。
 周辺はピヴォだけでなく、サンデパートビル(南2西3)やイケウチゲート(南1西2)など商業施設の建て替え計画が動きだし、将来的にはテナント獲得競争が激しくなりそうだ。
 一方、相次ぐ再開発で一時的に商業施設が減り、同地区からテナントが離れるという見方も出てきた。4プラと同地区の別の1店舗で古着店を経営するSHARE(シェア、札幌)の佐藤直人代表社員は「移転先の選択肢は(札幌駅前通を挟んだ)パルコしかないが、パルコも(既存テナントで)パンパンだ。ビルの集客力に頼らず、郊外に広い店舗を構えることを検討している」と話す。
 市民の間では惜しむ声が広がる。4プラで買い物をしていた札幌市清田区の高校生谷口未弥さん(15)は「ニュースで知ってびっくりした。いつも行く店がこれからどうなるか心配」。ビル内の100円ショップを利用するという同市中央区の伊藤千賀子さん(69)は「大通は札幌の中心部。跡地にどんな建物ができたとしても活気が維持されてほしい」と話した。(生田憲、芝垣なの香、村上辰徳)

来年1月末に営業を終える4丁目プラザ(中央)。パルコ(左下)などと大通地区中心部の一角に位置し、若者文化の発信地として親しまれた=1日、札幌市中央区(中川明紀撮影)

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 北海道新聞、札幌市内版の記事です。
 4プラ、若者魅了し50年 2022年1月閉館 「寂しい」「憧れの地」 入居店舗から惜しむ声
 札幌市中央区の商業ビル「4丁目プラザ」(南1西4)が老朽化などのため、来年1月末で閉館することが1日発表された。ビル内で長年営業を続けてきた店舗経営者は「若者文化の発信地だった」と、半世紀にわたり札幌のランドマークとして親しまれた「4プラ」の思い出などを振り返った。
 同ビル建設前に同じ場所にあった喫茶店の流れをくむ喫茶店「コーヒープラザ西林」は1971年の同ビル開業時から地下2階で営業し、客や札幌の移り変わりを見届けてきた。同ビル運営会社の社長も務める同店の運営会社「にしりん」の広川雄一社長(76)は「地域のランドマークである4プラで店をやってきたことを誇りに思う」と話す。
 地下街ポールタウンとビルが直結しているため、店には若者のほか幅広い世代が集い、「携帯電話の普及前は待ち合わせ場所としてもよく使ってもらった」。
 一等地にありながら、客が「使いやすい店でありたい」と薄利多売をモットーに、700~800円台のコーヒー付ランチなどを提供してきた。
 開店当初はウエートレスとして働き、その後、数十年来の常連となった人、転勤で札幌を離れたがまた戻って店に通ってくれる人。そんな客の姿に励まされてきた。「50年の節目で閉館せざるを得ない寂しさはあるが、人々をつなぐ役割は果たせたと思う」
 7階の商業スペース「自由市場」は1坪から出店でき、海外直輸入のアクセサリーや古着、雑貨など多彩な店を育んできた。
 2004年に古着店「ペギーズブティック」を開店し、現在は市内で6店の古着店を営む荒川健さん(40)は「僕自身も育てられた場所」と惜しむ。市内の服飾専門学校を卒業。市内の別施設で古着屋を開いていた24歳のころ、4プラの営業部に声をかけられ、自由市場に出店した。「憧れの地で、まさか店を出せると思わなかった」
 古着が好きで、元々は客として自由市場に通った。地元オーナーによる個性的な店が1区画ごとにひしめく「かわいい、奇麗というだけでなく、怪しいマニアックさを兼ね備えた場所だった」と振り返る。
 荒川さんは定期的に欧州で古着を買い付けながら事業を拡大し、2014年には会社化も果たした。「涙あり笑いありの自由市場の日々でモノを売ることを学んだ」と話す。今後は近場に移転するつもりだ。
 同ビルが加盟する札幌四番街商店街振興組合の戸沢真副理事長(62)は「4プラのおかげで、かいわいに若い世代が集まった。地場の人たちが立ち上げた施設という意味でも地域の誇り」と語り、新たな魅力ある施設に生まれ変わることを期待する。(加藤祐輔、岩崎志帆)

「西林」の店内で店のあゆみなどを振り返る広川雄一社長(大石祐希撮影)

「百年もの」の古着やアンティークグッズが数多く並ぶ店内に立つ荒川健さん(金本綾子撮影)
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 立ち退きを経験した私にとって、
 移転先がないのはひとごとではありません。
 各テナントさんで条件は違うと思います。
 いい移転先が見つかることを祈っています。
 私は移転先がなくて困りました。
 不本意でしたが先輩の目の前に移転してしまいました
 北大形成外科同門会を辞めました。
 私は運命だとあきらめています。
 4プラのテナントさんが移転できることを願っています。

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