医学講座
橋田寿賀子さんご逝去95歳
今日は2021年4月6日(火)です。
2021年4月4日に橋田寿賀子さんが
95歳でお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
1925年5月10日(大正14年5月10日)生まれ、
私はおしんが一番印象的でした。
おしんを知らない世代が増えました。
■ ■
おしんは、
1983年4月4日から1984年3月31日まで放送されていた
NHKの朝の連続テレビ小説です。
私は函館中央病院形成外科に勤務していました。
山形のことを意識したのは、
さくらんぼさんと知り合ってからです。
山形の人はおしんのように優しくて強い人です。
うちの奥さんと娘は、
渡る世間は鬼ばかりをず~っとみていました。
昭和を代表する素晴らしい方たちが、
次々と亡くなられてさびしいです。
■ ■
今朝の北海道新聞朝刊、卓上四季です。
ドラマの神様のト書き
連続テレビ小説「おしん」は、橋田寿賀子さんの下に届いた1通の手紙から始まった。米一俵で奉公に出され、女郎に売られた明治生まれの女性。逃げ出してミシン一つで自立したという内容に「一世代前のことも知らない自分に愕然(がくぜん)となった」という(「おしんの遺言」小学館)
▼オイルショックのころから「身の丈を超えた豊かさ」に疑問を抱いていた橋田さんの背中を押した。「暗くて地味」と断られた企画を粘り強く働きかけたのも、豊かさの意味を問いかけねばという思いゆえのことだったのだろう
▼松竹での不遇の10年間を経てテレビ界に移ったが、TBSのプロデューサー石井ふく子さんと出会うまでは芽が出なかった。脚本家として脚光を浴びた時には、すでに40歳目前だった。
▼「二流の私が書きたいものを書ける。こんな贅沢(ぜいたく)な仕事を50年近くもやらせてもらって不満を言ったら罰が当たります」。出会いに感謝する言葉に偽りはない。
▼社会に対する鋭敏な嗅覚が身につまされる長寿ドラマも生んだ。だれもが押し隠す本音をずけずけとしゃべる登場人物にどれだけの視聴者が共感し、時には留飲を下げたことだろうか。
▼晩年は静岡県熱海市に居を構えた。眼下の海に映る「月の川」に「今日も生かされている」と感謝の思いが募ったそうだ。「足るを知る」。テレビドラマの神様の人生にはそんなト書きがあったのかもしれない。2021・4・6
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
橋田寿賀子さんのことをよく知りませんでした。
松竹での不遇の10年間があったから、
いい作品がたくさんできたのだと思います。
私はとても95歳まで生きられる自信はありません。
健康に注意して、
ほどほどに仕事をつづけたいと思っています。