昔の記憶

母親の葬儀④

 私と弟は3歳違いです。
 性格がまったく違います。
 小さい頃から仲がよくありませんでした。
 よく喧嘩をしていました。
 バアさんが亡くなるまで、
 あまり交流もありませんでした。
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 バアさんの状態が悪くなって、
 私と弟が協力するようになりました。
 協力しないと、
 とても看病などできません。
 看病ではなく、
 ただそばについているだけです。
 お世話はすべて看護師さんがしてくださいました。
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 私の米国形成外科学会参加は、
 一年前から計画していました。
 航空券もホテルも、
 一年前から予約してお金も払っていました。
 キャンセルしても返金はありません。
 そこにバアさんの状態が悪くなりました。
 私は弟に、
 もし渡米中に急変したら来てくれるように頼みました。
 弟も快諾してくれました。
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 バアさんの状態はよくなかったものの、
 学会中は問題ありませんでした
 学会最終日の午前中に急変しました
 帰国するまで生きていてほしいと祈るような気持ちでした。
 帰国するまでがんばってくれました。
 意識はほぼありませんでしたが、
 私が帰国したことがわかったようでした。
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 うちのバアさんは、
 数年前から長生きしすぎたが口ぐせでした。
 長生きするのも楽じゃないともよく言ってました。
 今年になってからは、
 早く逝かせてほしい
 ごくつぶしは生きていてもしょうがない
 …とも言っていました。
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 最期の一週間、
 私と弟が交代でバアさんのベッドの横で寝ました。
 東札幌病院の緩和ケア病棟はとても静かです。
 よく病院で聞くモニターの音がしません。
 ナースコールの音もしません。
 ナースコールは看護師さんの携帯マナーモードが、
 ブルブルと振動するだけです。
 亡くなる前日に弟がバアさんにお別れをして、
 東京行の最終便に搭乗しました。
 せっかく来てくれたのになぁ~という思いでした。
 バアさんのおかげで弟と仲良くなれました。

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