医学講座

カール・レイモン創業100年㊥

 今日は2025年4月23日(水)です。
 札幌は曇りで寒いです。
 最高気温15℃です。
 東京も山形も寒そうです。
 さくらんぼさんの果樹園は摘花でお忙しいのに、
 寒暖差があって心配です。
 いいお天気になってほしいです。
      ■         ■
 昨日のカール・レイモン創業100年の続きが北海道新聞に載っていました。
 <函館 カール・レイモン創業100年 胃袋の宣教師 教え今も
 生肉を丁寧に切り分ける従業員。ソーセージ用の肉を入れた充塡(じゅうてん)機から、ウインナーが次々と出てくる。
 函館市鈴蘭丘町の函館カール・レイモン工場で3月8日、道内団体客35人が工場を見学した。
創業の理念紹介
 「食品添加物などの使用をできるだけ抑え、肉本来のうまみを引き出しています」。参加者は工場職員の説明を聞きながらガラス越しに製造過程を見学。創業者カール・レイモンさんの波乱の人生や製品作りへの思いを紹介するビデオを鑑賞し、ソーセージも試食した。
 夫婦で参加した札幌市の会社員柴田憲明さん(53)は「創業の経緯や素材、味へのこだわりを知り、よりおいしく感じました」と話した。同工場は2~10月に工場見学を受け入れ、年間計約1500人が訪れる人気だ。
 1925年(大正14年)に函館で創業したレイモンさんは、自らを「胃袋の宣教師」と呼び、ドイツ伝統の製法による肉本来の味を大切にしたハムやソーセージを函館で作り続けた。
 創業時、日本ではハム・ソーセージを食べる習慣がなく、「馬のしっぽみたいだ」などと言われ、全く売れなかった。だが、現在は「函館で食べた味が忘れられない」といった口コミが広がり、函館を代表する食品ブランドになった。
■「人を救う自負
 函館市元町のレイモンさん宅の隣人で親交があった太田誠一さん(73)=函館市=は「レイモンさんが仕込みをしていて、深夜まで工房に明かりがともっていた」と懐かしむ。「自分の商品は体に良く、人を救うという自負があった。仕事には厳しいけれど人への慈愛に満ちた人でした」
 1983年にレイモンさんが引退を決意すると、知人で日本ハム創業者の大社義規氏が「この技術をなくすのは惜しい」と、日本ハムのグループ会社として「函館カール・レイモン」を設立し、事業を継承。同社は2022年4月、日本ハム北海道ファクトリー(旭川)と統合した。
 レイモンさんは1987年、93歳で死去。92年に現工場が完成した。商品は函館と札幌の4直営店や土産店、スーパーで販売している。
 創業100周年を前に、本社工場で昨年10月、従業員約40人が集まり、レイモンさんや製品作りへの思いについて学ぶ勉強会を開いた。
 「私のハムは肉の細胞を一時的に眠らせるだけ。胃に入るとよみがえる」と語っていたレイモンさん。塚本政伸工場長(53)は「今後もレイモンさんの考えと味を守っていきたい」と語る。製法や味は今も創業の地で受け継がれている。(函館報道部 阿部大地)

ソーセージなどの製造作業に見入る見学者=函館市鈴蘭丘町の函館カール・レイモン工場(金田淳撮影)
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 創業時の1925年(大正14年)に、
 日本でハム・ソーセージを食べる習慣がなかったことを知りませんでした。
 今ではごくふつうに食べています。
 「馬のしっぽみたいだ」と全く売れなかったのが信じられません。
 日本ハムが事業を継承したのは何となく知っていました。
 私が函館に住んでいた頃には、
 函館市鈴蘭丘町の函館カール・レイモン工場はありませんでした。
 函館に行って工場の見学をしたいです。
 レイモンさんはすごい方です。

“カール・レイモン創業100年㊥”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ