院長の休日
謹賀新年2023
あけましておめでとうございます。
コロナ禍3回目のお正月です。
行動制限なしの年末年始だそうですが、
本間家は94歳と88歳の二人の高齢者に、
私たちも68歳と66歳の高齢者なので、
集まるのは避けています。
■ ■
家族写真は奥さんと二人です。
そら君の後はペットもいません。
元気で働けるのが一番のしあわせです。
さくらんぼさんのりんごのおかげです。
お正月もお雑煮とりんごをいただきました。
おかげ様で体調もよく病気もしていません。
■ ■
2023年は戦争が終わって、
平和な年になってほしいです。
もうちょっと神様にお願いするなら、
物価が安くなってほしい、
ガソリンも灯油も安くなってほしい、
コロナが収束してほしい。
病気にならないで元気でいたい。
こんなにお願いしたら神様から叱られそうです。
良い年になることを願っています。
医学講座
2022年大晦日
今日は2022年12月31日(土)大晦日です。
最後まで院長日記を読んでいただきありがとうございます。
2022年は大変な年でした。
コロナ禍は3年目になり、
2月にはロシアが戦争をはじめました。
日本にこんなに影響があるとは、
考えてもみませんでした。
■ ■
北海道のお隣がロシアです。
日本で一番ロシアに近い地域です。
漁業関係や
水産関係の人たちは、
ロシアとの関係が深いです。
今朝の北海道新聞には、
ロシアとの漁業交渉が難航していると出ていました。
■ ■
安全に操業するために、
ロシアと漁業交渉をしていますが、
今年はウクライナ問題でうまくいかないようです。
私は戦争は大嫌いです。
尊い命を亡くしてしまうなんて、
ほんとうに残念なことです。
■ ■
2023年には戦争が終わってほしいです。
コロナも収束して、
また観光客にいらしていただきたいです。
灯油もガソリンも安くなってほしいです。
もちろん物価も電気料金も安くなってほしいです。
ひとつでもいいので、
神様がかなえてほしいです。
来年はいい年になりますように。
医学講座
中国・武漢で感染爆発、死者急増
今日は2022年12月30日(金)です。
札幌美容形成外科は今日まで診療です。
明日から1月5日(木)まで休診です。
コロナ禍3年目で戦争があり、
円安になって、
物価も上がり大変な年でした。
来年こそいい年になってほしいです。
■ ■
昨日のYahoo!ニュースが気になりました。
中国・武漢で感染爆発、死者急増 住民ら証言、ゼロコロナ政策崩壊
【武漢共同】中国湖北省武漢市で12月に新型コロナウイルスの感染爆発が起き、感染者の死亡が急増していると、住民らが29日までに共同通信に証言した。習近平指導部の「ゼロコロナ」政策が崩壊する中で流行が拡大した。コロナ発生を世界で初めて武漢当局が通知してから30日で3年。流行初期に都市封鎖を経験した市民らは再び難局に直面している。
市内の葬儀場には29日、遺影や遺灰を持った人や車が大勢集まった。医療関係者によると流行のピークは過ぎたもようだが、現在も重症者の増加で病床が逼迫。武漢の人口は約1300万人だが複数の住民は「体感で9割近く」が感染したと話している。
葬儀場内を歩く防護服姿の人=29日、中国湖北省武漢(共同)(KYODONEWS)
(以上、Yahoo!ニュース、共同通信より引用)
■ ■
中国のお葬式や火葬場のことはよくわかりません。
住民が感染者の死亡が急増していると証言するのは、
ほんとうだと思います。
3年前に武漢の眼科医、
李文亮先生が報告されて、
約1ヵ月でご逝去されました。
まさか世界中に拡がるとは思ってませんでした。
年末年始も感染に気をつけます。
医学講座
3年ぶりに行動制限なしの年末年始
今日は2022年12月29日(木)です。
毎週木曜日は休診日ですが、
年末だけは診療をしています。
美容形成外科の繁忙期は年末です。
お正月休みをダウンタイムにするためです。
毎年かわりません。
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2022年12月29日、Yahoo!ニュースです。
帰省ラッシュきょうピークか 3年ぶりに行動制限なしの年末年始
3年ぶりに行動制限がない年末年始、空の便や鉄道では、きょう、帰省ラッシュがピークとなる予想です。
成田空港はきのう、出国のピークを迎え、旅行客らでにぎわいました。
日本航空と全日空によりますと、水際対策の緩和などで、国際線の予約は新型コロナ感染拡大前の3年前と比べて半分程度にまで回復しているということです。
一方、国内の帰省ラッシュは、空の便、鉄道ともきょう、下りがピークとなる見込みで、上りは来月3日になるとみられます。
JR各社によりますと、年末年始の新幹線、在来線の指定席の予約状況は、感染拡大前の8割近くまで回復しているということで、きょう、あすの下りは空席が少なくなってきています。
高速道路の帰省ラッシュは、東名や関越道などの各高速道路の下り線できょうから始まり、ピークはあすの午前中になる予想です。
(以上、Yahoo!ニュース、TBS NEWS DIGより引用)
■ ■
中国以外からの入国は緩和されています。
米国ではマスクなしの生活になっています。
感染者数や死者数も減ってきていましたが、
日本では死者数が増えたようです。
残念なことに、
中国はかなり違うようです。
TVのニュースに出ていた、
火葬場に向かう霊柩車の列はこわかったです。
棺桶にも入ってないご遺体を見ました。
2023年はコロナとさよならをしたいです。
医学講座
ある日突然裁判所から書類が来たら
今日は2022年12月28日(水)です。
御用納めです。
札幌美容形成外科は12月30日(金)まで診療をします。
コロナ3年目の2022年は、
高齢者の受診が減ったままです。
油断大敵なので外出自粛です。
若い方の受診は戻りつつあります。
■ ■
私の院長日記も16周年を迎えました。
2006年10月22日からはじめました。
16年間はあっという間でした。
私は52歳から68歳になりました。
院長日記を続けられたのは、
コメントをいただいたおかげです。
心から感謝しています。
■ ■
さくらんぼさん
なっちゅんさん
えりーさん
毎日ほんとうにありがとうございます。
ご声援がなければ続けられませんでした。
16年間にさまざまなできごとがありました。
大同生命との裁判もありました。
■ ■
今になって思うことです。
私の場合はこちらから調停を申し立てましたが、
残念なことに不成立になりました。
突然、特別送達
…という1000円切手が2枚もついて、
2170円も郵送料がかかる裁判所からの書類が届きました。
ばか正直な私は出頭してくださいと書いてあったので、
毎回口頭弁論に行きました。
私のマネをしないことをおすすめします。
裁判所の口頭弁論は書類の確認だけです。
■ ■
裁判所に行くとクリニックは閉じるので、
当然、売上も減ります。
そうすると収入が減ります。
裁判で計算する時に損をします。
これから建物明渡訴訟になった同業の先生は、
ぜひ信頼できる弁護士さんにすべてお任せして、
ご自身は本業に専念してください。
それが精神的にも肉体的にも経済的にもいいです。
裁判を経験した私からの助言です。
医学講座
4プラがなくなりました
今日は2022年12月27日(火)です。
2022年も残すところあと5日です。
札幌美容形成外科は30日(金)まで診療をします。
今年はいろいろなことがありました。
札幌美容形成外科の近くでは、
4プラが閉店しました。
もう建物はありません。
■ ■
建物をこわす時に、
時々地震のような振動がありました。
大同生命ビルの取り壊しの時には、
すぐ隣だったのでもっと大きな地響きがありました。
建物の梁など大きな構造物が、
落下する時に地響きがしました。
ビルをこわすのも大変です。
■ ■
今年は札幌駅のパセオもなくなりました。
もともとヨドバシカメラがあった高架下も、
今は何もなくなっています。
これから新幹線の工事が本格化してきます。
ホテルオークラ札幌もなくなりました。
4プラがあった場所では、
新しいビルのためにボーリングをしているようです。
しばらく札幌では工事ラッシュが続きそうです。
医学講座
冬の停電に備える2022
今日は2022年12月26日(月)です。
形成外科42年のあゆみを16回も書いてしまいました。
申し訳ございません。
矢野雋輔やのしゅんすけ先生のところまで書いたので、
一度お休みします。
また少しずつ再開します。
■ ■
2022年も今週で終わりです。
大変な一年でした。
一番残念なのがウクライナの戦争です。
ロシアのプーチン大統領は、
極寒のウクライナで電気を破壊しています。
とんでもないことです。
病院にも電気が来ないことになります。
■ ■
北海道の紋別地方で大雪のために、
停電になりました。
雪の重みで送電の鉄塔が倒壊しました。
倒木のために、
送電線がやられました。
大変なことです。
冬に停電になると暖房が止まります。
■ ■
国に冬の停電対策を望みます
2018年9月21日の院長日記です。
地震の後で大規模停電になった時に書きました。
北海道では、
冬に大雪になると電線に雪が付着します。
この雪の重みで送電線が揺れて、
電力が不安定になることがあります。
2012年11月の登別市の大規模停電は、
この送電線の障害が原因だったと記憶しています。
災難は忘れた頃にやってきました。
■ ■
2018年の地震の後で、
発電機、
ガス暖房機を買いました。
一度も使っていません。
またいつ停電になるかわかりません。
私はEVが止まっても階段で上がれます。
冬の停電対策のために、
カイロを買っておこうか?と思いました。
医学講座
形成外科42年のあゆみ⑯
形成外科42年のあゆみの続きです。
形成外科医になろう、
美容外科医になろう、
…という若い人がいたら、
医学部に入るところが一番の難関です。
医学部入試は今も昔も難しいです。
私も入れるとは思っていませんでした。
■ ■
私の人生に一番大きな影響を与えてくださったのが、
高校3年生の時に通った、
予備校の夜間ゼミでした。
そこで矢野雋輔やのしゅんすけ先生との出会いがありました。
もし矢野先生の講義を聴いていなければ、
私は医師になれませんでした。
そのくらい私の人生を変えてくださったのが、
矢野先生の講義です。
■ ■
けんいち少年は医学部を目指していましたが、
成績は低迷。
とても…
現役合格できるレベルではありませんでした。
札幌西高校では生物は一年生で履修しました。
生物は好きでしたが、
模試の成績は…
いま一つ…
パットしませんでした。
北海道新聞の広告で、
桑園予備校という予備校が、
夜間ゼミを開講するというのを知りました。
■ ■
母親に頼んで、
この夜間ゼミを受講しました。
当時は、
夏期講習や冬期講習など、
札幌にあった、
札幌予備学院(現、河合塾札幌校)と
桑園予備校(現在はありません)
の2校が
現役受験生向けの講習を開いていました。
■ ■
私の家は裕福ではありませんでした。
父親は夕張で単身寮生活。
母親は生命保険の外交員をしていました。
贅沢ぜいたくはしていませんでしたが、
子どもの教育費だけは、
何とか捻出してくれていました。
西高の授業が終了した後で、
バスで予備校へ通学しました。
■ ■
授業は17:00開講。
19:00までの2時間でした。
矢野先生の授業(講義)は、
あっという間に2時間が過ぎました。
今でも先生の顔、声、授業内容を
とても鮮明に覚えています。
授業は
入試に出る生物100というタイトルでした。
■ ■
桑園予備校には、
当時としては最新鋭のコンピューターがありました。
矢野先生は、
このコンピューターで過去の入試を分析。
入試に出る生物100を抽出し、
その講義をしてくださいました。
■ ■
講義内容は素晴らしく、
培風館(ばいふうかん)という会社の、
生物精義という参考書以上の内容でした。
私が不得意だった、
生物の分類も、
(生物の)名前は
お経(きょう)のように…
何度も口に出して、となえて…
覚えるしかありません…
トイレに紙を貼って覚えなさい!
…とご指導していただきました。
■ ■
原索動物(げんさくどうぶつ)例えば…
ギボシムシ(現在は半索動物に分類)
ホヤ
ナメクジウオ
と今でもスラスラ出てきます。
矢野先生の夜間ゼミのおかげで、
私は冬の校内模試で、
生物が一番になりました。
後にも先にも、一番をとったのは
この生物だけでした。
■ ■
残念なことに数学ができなくて浪人しました。
一浪した予備校時代にも、
札幌予備学院で矢野先生にお世話になりました。
人間とは不思議なもので、
それまでダメだった私が、
矢野先生の生物の講義のおかげで、
他の科目の成績まで伸びました。
いま、こうして医師免許を取得し、
医師として生活できるのも、
矢野先生と出会ったからだと…
一度も忘れたことはありません。
■ ■
68歳になった今も、
矢野先生のことを忘れたことはありません。
恩師、大浦武彦先生の奥様、故大浦憲子様が、
藤女子大学で、
矢野先生の教え子だったと、
教えていただいたことがありました。
私が形成外科医になれたのは、
矢野先生や大浦武彦先生のおかげです。
医学講座
形成外科42年のあゆみ⑮
形成外科42年のあゆみが長くなりました。
つまらない院長日記にお付き合いいただきありがとうございます。
自分史を書いているようで、
なかなかやめられません。
もう少し続けさせてください。
大夕張から札幌に来るために、
私の両親はかなりがんばってくれました。
■ ■
私の高校進学とともに、
私と弟、母の3人が札幌に来ました。
父親の母が住んでいた、
西区八軒はちけんの家に引っ越してきました。
お世辞にも立派な家とは言えませんでした。
トイレは水洗式ではありません。
最初はお風呂もなく銭湯に通っていました。
■ ■
私たち3人は、
七畳くらいの一部屋に、
私と弟と母親が
寝泊りしていました。
私と弟は2段ベッド。
母親は床に布団を敷いて寝ていました。
壁が汚かったので、
ペンキを買ってきて自分たちで塗りました。
床は父親がフローリングを自分で貼りました。
■ ■
父親が昭和36年に購入した中古の建売木造住宅でした。
昭和30年代に建てられ、
父親が自分の叔父との裁判で、
円山にあった土地と建物を失ったので、
その建売住宅を買ったようです。
お金がなかったので土地は長い間借地でした。
最初は父の両親と弟妹が住んでいました。
■ ■
そのボロ家から私は札幌西高校に通っていました。
見栄を張っていたつもりはありませんが、
高校時代、同級生に、
『今度、本間の家(ホンマンチ)へ行ってもいぃ?』
と言われるのが一番困りました。
友人に来てもらうような家ではありませんでした。
友人の家は、
西区西野の閑静な住宅地にあり、
新築の立派な家でした。
■ ■
私の家には友人を呼んだ記憶がありません。
けんいち少年は、
そこからバスと徒歩で西高に通っていました。
お金がなかったので母親は働きに出ました。
北海道新聞に載っていた求人広告をよく見ていました。
40歳を過ぎると雇ってくれるところがないと、
よくぼやいていました。
■ ■
森永製菓のお菓子工場のパート(不況でリストラ)→
日本団体生命保険の外交員→
三菱信託銀行の財形貯蓄の勧誘員、
…それと私が大学に入ってから、
公益社団法人北海道不動産鑑定士協会
…で将来年金をもらえるようにと働いていました。
私たち息子2人が独立してからも、
鑑定協会で働いていました。
そこでたくさんの人脈を築き株も教えていただきました。
94歳になってもお金に困らず、
サ高住に住んでいます。
うさぎ小屋以下だった、
昔の本間家では考えられないことです。
医学講座
形成外科42年のあゆみ⑭
形成外科42年のあゆみを2週間も書いてしまいました。
藤枝正道先生の3年7組は楽しいクラスでした。
模擬試験では一度もA判定もB判定も出ませんでした。
それでも第一志望は札幌医大にしていました。
自分なりに勉強はしていましたが、
なかなか成績は伸びませんでした。
■ ■
今から考えると学力不足でした。
札幌西高校では、
伝統の、
文化祭、
運動会、
行燈行列、
という学校の行事がありました。
受験生なのに勉強以外のこともしていました。
楽しい高校生活でした。
■ ■
北海道には、
炊事遠足というのがあります。
結婚してから奥さんに言ったら、
何それ?って言われました。
はんごうすいさん飯ごう炊さんのこと?
…と言われ、
今度は私がはんごうすいさんって何?
…と聞きかえしました。
■ ■
北海道では、
お弁当を持って行くふつうの遠足ではなく、
どこかに行って、
豚汁を作ったり、
ジンギスカンをしたり、
野外で料理をして食べる遠足を、
炊事遠足すいじえんそくと呼びます。
ネットで検索すると今でもあります。
■ ■
3年7組では、
十五島公園に炊事遠足に行きました。
藤枝先生の奥様と、
お嬢様もいらっしゃいました。
先生が奥さんのことを、
♡としちゃん♡と呼ばれていました。
とても素敵なご夫妻です。
現役合格はできませんでしたが、
私は楽しい高校生活を送ることができました。