昔の記憶

昭和の日

 今日は昭和の日です。
 平成元年から平成18年までは、みどりの日でした。
 私が子供の頃は、天皇誕生日でした。
 結婚してからは、義父の誕生日でした。
 以前にも書きましたが、家内の父は国鉄マンでした。
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 平成5年4月6日に、心筋梗塞で急逝してしまいました。
 今でも残念に思っています。
 4月29日になると、義父のことを想い出します。
 私は、義父に結婚を反対されました。
 『北海道は遠い』
 これが理由です。
 確かに、関西から北海道は遠かったです。
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 私が直接言われたのではありませんが、
 『お医者さんは、看護婦(看護師)さんと浮気をする』
 というようなことも…
 理由に入っていたとか?
 聞いた覚えがあります。
 これは、お医者さんに限らず…
 その人によると思います。
 私の友人を見てもそうです。
 義父に言われたためではありませんが…
 私は一度も浮気をしていないし、
 すすきのにもめったに行きません。
 風俗にも行きません。
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 うちのお父さんは、旅行に行っても…
 必ず線路を見ている。
 結婚する前に家内から聞いた言葉です。
 義父は、国鉄の保線マンでした。
 定年退職する前は、尼崎(アマガサキ)保線区長でした。
 JR西日本で、大事故があった尼崎です。
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 あの事故があった時…
 義父が生きていたら、
 どんなに悲しんだことかと、胸が痛くなりました。
 事故があった線路は、義父の管轄でした。
 当時は、福知山線(フクチヤマセン)と言っていました。
 保線区は、線路の除草まですると教えてくれました。
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 昔は、家が貧乏だと…
 立身出世のために、
 国鉄に入ったものだと聞いたことがあります。
 私の祖父も、国鉄に勤めていました。
 義父も島根県の農家の八男でした。
 尋常小学校を卒業後に、大阪に出て、国鉄に入りました。
 亡くなる前も、線路の仕事をしていました。
 50年間も、線路一筋のおじさんでした。
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 昔は、こうして…
 この道一筋の、職人みたいな人が多かった気がします。
 今は、多いのがフリーターやニート。
 苦労して仕事を覚えるというのが、
 若い人に受けないのかも知れません。
 でも、安全に電車を運行するには、
 線路がしっかりしていなければなりません。
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 義父から聞いた印象に残っている言葉があります。
 台風や大雨が降った時の列車の運行です。
 保線区長がOKを出さなければ、
 たとえ特急でも停止して待たなければならない。
 それほど、自分の職務に自信と責任を感じていた人でした。
 もう少し、いろいろなことを相談してみたかった…
 じいちゃん、何でそんなに早く死んじゃったの?
 というのが、義理の息子としての本音です。

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