昔の記憶
還暦の年2014
自分が高校生の頃、
還暦(かんれき)の年に何をしているか?
考えてもみませんでした。
毎日まいにち勉強していました。
定期試験はあるし、
授業についていくだけで大変でした。
札幌西高校で、
私は優等生ではありませんでした。
■ ■
還暦を迎える年になって思うことです。
勉強ができるとかできないとか、
頭がいいとか悪いとか、
容姿が素敵だとか、
高校時代の優劣なんて、
還暦になってみると関係ないなぁ~
…というのが実感です。
■ ■
変わらないのは、
声、
性格、
ちょっとした仕草、
ものごとに対する対応。
昔からすばやい人は、
おっさんになっても対応が早いです。
■ ■
私たちは札幌西高校23期、
昭和48年(1973年)卒業、
3年7組、藤枝正道先生の教室でした。
自由な雰囲気の高校でした。
私たちの生徒総会で制服自由化を決めました。
当時としては画期的なことでした。
友人の葬儀に参列して思ったこと、
あと何年生きられるか?
神様でもご存知ありません。
悔いのない残りの人生を全うしたいと思います。
少しでも人様から感謝される仕事をしたいと思います。
“還暦の年2014”へのコメント
コメントをどうぞ
今も これからの事を考えて話していました。 体も中々ついて行かず、家族経営の農業はなくなり、法人化され工場になり、すべてコンピューターが管理する農業になると思います。今から 息子の行く先に行く事なんか考えていて 邪魔にされるかなとか(笑) 主人の実家も義母だけなんで 空き家になります。 私も長くは生きられそうもないので、どうして欲しいかだけは書いておくつもりです。臓器提供するつもりですが、使えないかもしれません。父も初期の認知症と言われ薬を飲み始めました。私ももう少し頑張ってみます。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。さくらんぼさんの果物は法人化した工場や外国では絶対に作れないと思います。後継者が育つような農業政策が必要です。最近の国会は防衛という名で国を守るという争いに力が入っているように感じます。困ったことです。
先生はご自分の信念からしっかり患者さんに優しい医療をなさってるドクターです。
今でも十分過ぎますよ。
いつも脱帽してます。
健康で長生きして下さいね。
さくらんぼさんへ
父は中程度の認知症と診断され3年が過ぎました。
色々大変になって来ました。
さくらんぼさんは働きすぎですね。
どうしようもないのでしょうが、身体をなるべく労わって下さい。
いつまで生きられるのかなんて、さみしいこと言わないで下さいな。
なっちゅん様 ありがとうございます。 たくさんの手術をしてきた私ですが なんとか 運がよく生きています。 周りの仲間があまりにも 早い死を迎え いろんな人生模様が見え これも私の運命なのかと思っております。 先月亡くなった隣の方は産まれた時から55年ここで遊び 農家をしていたので まだ死んだ事が受け入れられず、人は いつ死ぬかわからないなあと思っています。