昔の記憶
幸せな人生2014
最高の人生とは?
2009年1月23日の院長日記です。
最高の人生とは何か?
ちょっと考えてみました。
私が子どもの頃、
近所のお医者さんの家は、
裕福で、
テレビも
ピアノも
自動車も
自分の家にないものが、
お医者さんの家には何でもありました。
■ ■
私の母親は、
私の父親が薬剤師で、
お医者さんの方が、
薬剤師の倍もお給料がもらえるから、
家にないものが、
お医者さんの家には、
『何でもある』と
子どもの私に教育しました。
■ ■
裕福になりたいから…
お金持ちになりたいから…
子どもの頃から勉強して、
お医者さんになったのかも知れません?
確かに、
医師免許証があれば、
生活に困ることはありません。
雇用保険も、
一度もいただいたことはありません。
■ ■
研修医の頃は、
貧乏だったこともありますが、
結婚して子どもが生まれてからは、
生活に困ったことはありません。
分不相応な家を建てて、
住宅ローン地獄になった時以外は、
同世代の友人たちより
‘よい暮らし’
をしていたと思います。
■ ■
私が子どもだったころから、
50年が経ちました。
両親は83歳と81歳になります。
年齢相応に衰えていますが、
まだ元気です。
両親は私が札幌医大に合格した時、
医師免許証を取得した時、
とても喜んでくれました。
■ ■
世間から見ると、
順風満帆な人生で、
最高の人生かも?知れません。
50年経ってみると、
父より高給だったお医者さんは、
父よりずっと短命でした。
お金をたくさん残された先生もいらっしゃいます。
でも残された奥様は…
お一人で寂しく余生を送っていらっしゃいます。
■ ■
薬剤師の父親は、
つい数年前まで、
調剤薬局のピンチヒッターとして、
働くことができました。
私はどう頑張っても、
父親の年齢まで生きられる自信がありません。
父親よりずっと短命だと思います。
形成外科医としての寿命は、
もっと短いと思います。
■ ■
先日、私の子どもに言われました。
私が30代後半だった頃のことです。
お父さんとプールに行った時、
病院から呼ばれた、
…と一人で帰ってしまった。
プールに行っても、
いつも疲れて寝てばかりいた。
(私は)休みの日は、
しっかり休める仕事がいい。
■ ■
なるほど、
子どもは覚えているのですね。
自分では?
プールで寝ていたことは覚えてますが、
病院から呼ばれた回数は数知れず…
それがあたり前と思っていたので、
何の手術で呼ばれたのかも覚えていません。
■ ■
私にはいろいろな職業の友人知人がいます。
私はパイロットになりたかったのですが、
キャプテンだった知人は、
もう亡くなってしまいました。
弁護士さんも大変そうです。
会社の社長さんも大変です。
休みがありません。
■ ■
私の同期で、
60歳で定年退職した人がいます。
(自分が病気をして)
かあちゃんに苦労をかけたから、
これからは、
二人で旅行でもして、
のんびり暮らすさ…
彼は役員でも社長でもありませんが、
私から見ると♡幸せな人生♡
…だと思います。
“幸せな人生2014”へのコメント
コメントをどうぞ
農家にも定年はなく体が動く限り働かねばなりません。 主人は私の家に来てくれましたが、この仕事をしたらどんな辛い仕事もできると言われました。 休みもほとんどなく 儲かる仕事ではなく昔流行った3Kです。でもなんとか食べていけるのでありがたいです。明日も配達です。先生長生きしてください!
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。さくらんぼさんの果物は最高です。美味しい果物作りは大変ですが、多くの方に喜んでいただいています。無理をしないで長く続けてください。毎日お疲れ様です。
先生、長生きして下さい。
父は83歳です。
認知症ですが、元気です。
70歳まで働いてくれました。
先生もそれ位までは患者さんを救ってくれますよね。
細い方が長生きするというじゃないですか。
長生きしてくださいね。
風邪でダウンしてます。
なかなか完治せずコメント遅くなりました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。お大事になさってください。私も細く長くを目指します。
美輪明宏さんが、この世でうらやましい人間は一人もいない、と言っていました。
華やかそうに見える職業の人も言えない苦労をたくさん抱えていると思います。人は無い物ねだりをする生き物なのですかね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。お医者さんの人生は楽ではありません。責任は重いですがやりがいのある仕事だと(私は)思っています。