医学講座
ペルテス病だった私の経験①
今日は2021年3月31日(水)です。
ペルテス病だった聖火ランナー
…の続きです。
私のペルテス病は後遺障害もなく治りました。
鉄人28号
2007年12月2日の院長日記に書いてあります。
■ ■
私が発病したのは5歳でした。
手稲町立手稲西幼稚園に通っていました。
病気になった私が幼稚園へどうやって通ったのか忘れましたが、幼稚園の遠足では、神社の階段を園長先生が、私をおんぶして上がってくれました。
コルセットをつけて、外でも遊んでいたような気がします。
子供は驚くほど適応力があるので、私が手術した子供たちも、ギプスをつけながら器用に遊んでいたことを想い出します。
こうして、私は約一年間コルセットをつけて幼稚園へ通園しました。
■ ■
整形外科のおかげで、私の骨は変形することもなく成長できました。
札幌医大に入学してから、整形外科の臨床実習がありました。
実習担当の先生に『僕は昔ペルテスで整形外科のお世話になりました』と話しました。
■ ■
『今は何ともないの?』と聞かれました。
私は、母親から歩き方が変だと言われたことはありますが、特に問題なく、スキーもできますと答えました。
じゃぁ、念のためレントゲンを撮ってみようということになり、私は20年ぶりくらいで股関節のレントゲンを撮りました。
■ ■
レントゲンを読影してくださった先生は、『本間君、ペルテスだったのは右か?左か?どっちだった?』と言われました。
私は今回、日記を書くために古い写真を見て、左とわかりましたが、学生の時はどちらだかはっきりわかりませんでした。
『おそらく左だったと思います』
先生は、『イゃ~、こりゃ、どっちかわかんないほどよく治っているゎ』と仰ってくださいました。
■ ■
私は今でも、歩き方が少し変です。
でも、別に股関節に痛みもありませんし、歩行も水泳もできます。
手稲でペルテスが見つかり、北大から愛育病院へ紹介され、しっかり治していただいたことに感謝しています。
■ ■
ペルテス病になったことで、
幼少期のけんいち少年はいろいろ考えたようです。
ベッドの上で排泄を経験したことで、
くさいに敏感です
おやじくさい
加齢臭
うさんくさい
いんちきくさい
…にならないように66歳でも気をつけています。
■ ■
5歳で入院した記憶は、
66歳でも覚えています。
5歳の時には、
将来お医者さんになるなんて考えてもみませんでした。
今から考えると、
神さまはいい経験をさせてくださったと思います。
残された人生は、
少しでも患者さんの役に立ちたいと思っています。
“ペルテス病だった私の経験①”へのコメント
コメントをどうぞ
先生は1年間もコルセットをつけて
生活されてたのですね。
先生はどちらの足が分からないくらいに
完治されたのですか。
羨ましいです。
私は股関節未発達で
自転車も乗れなくなりました。
排泄をベッドの上でした事がありますが
恥ずかしいし臭いしでした。
昨日の先生のコメントで少し考えました。
私は徒競走だけではなく球技も苦手でした。
子供の頃に発症した
病気の後遺症のせいだけでは
なかったと思い直しました。
先生は苦労されてきてるから
お優しいのですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私は優しくはないです。自分も病気になったので私を頼って受診してくださった患者さんには一番いい医療を受けていただきたいと思っています。医療費で親が苦労したのでできるだけ患者さんの負担が少なくなるように考えています。
大人になってもベット上で大便をするのはいやなのでケンイチ少年は大変だったと思います。治ってよかったですね。お医者さんになったのはその経験もあったからではないでしょうか?
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。小学校から高校の頃は自分が医師になれるとは思ってませんでした。それほど学力はありませんでした。予備校で矢野先生にお会いしていなければ自分は医学部は無理でした。私はペルテス病を早く見つけていただき適切な治療を受けることができたの後遺障害もなく治ったのだと思います。私を頼っていらしてくださった患者さんにも、いい医療を提供したいと考えています。
後遺症もなく、どちらの足か違いも
わからないほど完治なさって
本当に良かったですね。
「経験は宝」という言葉を本間先生は
実践なさっていると思いました。
患者さんのためにというお気持ちは、
なんちゃって先生にはないと思います。
くさいに敏感、自分はめんどくさいを
言わないように気をつけたいです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。めんどくさいことはたくさんありますね。私は面倒な仕事はなるべく早く片付けてしまうようにしています。面倒くさいと思わないでせっせと仕事をすることにしています。自分が病気になると患者さんの思いがわかるように思います。