医療問題

医師不足解消

 昔から、医学部の入学試験は難関でした。
 私が、札幌医大を目指していた昭和48年は、オイルショックや医師不足が問題になった頃です。
 その当時に発足したのが、一県一医大構想でした。
 各県に最低一つの医科大学か医学部をつくり、医師不足を解消しようという政策でした。
 四国などは、北海道より狭い地域に、国立医大が4つの各県にできました。
 一番古いのが、昭和23年設立の徳島大学医学部。
 次が昭和48年にできた愛媛大学医学部。
 昭和52年に高知医大。
 昭和53年に香川医大ができました。
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 昭和48年に一県一医大構想ではじめて設立された国立医大が、旭川医大、山形大学医学部、愛媛大学医学部の3校でした。
 地方の医師不足解消のために、国の肝いりで国立医大を新設したのです。
 昭和48年開学の3大学は、国会審議の遅れから、大学の入学試験があったのが11月でした。
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 受験資格があったのは、3月に入試を落ちて‘浪人’していた学生だけでした。
 ラッキーといえばラッキーです。
 受験できたのは、浪人生だけだったのです。
 しかも、11月に入試があったとはいえ、合格してしまえば‘現役’合格です。
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 私は、ちょうどその時に浪人していて、札幌予備学院の医進クラスに在籍していました。
 旭川医大を受けましたが、落ちました。
 ‘現役’最後の受験が11月にあったのです。
 この3つの新設国立医大に全国から、理系の受験生が殺到しました。
 旭川医大は、3大学の中では易しいと言われましたが、合格できたのは、来春に北大(医)が合格確実な学生でした。
 私は、旭川医大の社会科2科目という‘難関’のため、高校でまともに勉強をしなかった日本史を選択しました(高校の担任だった、日本史の藤枝先生ごめんなさい)。
 最後の現役合格は、無残に消え、また浪人に戻りました。
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 11月に合格が決まり、旭川教育大学の施設を借りた、仮校舎で、旭川医大一期生の勉強がスタートしました。
 確か、12月頃に入学式があり、冬休み・夏休み返上で、教育がスタートしたと聞いています。
 私が知っている人には、旭川医大に合格しながら、進学せず、翌年に北大医学部に進学した人もいました。
 現在、旭川医科大学学長になられた、眼科の吉田先生は、この優秀な旭川医大一期生です。
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 国はいろいろな政策を考えて、地方の医師不足を解消しようとします。
 この、一県一医大構想ができた時には、将来は医師過剰時代になり、医師の失業者がでると真剣に言われたものでした。
 いくらお金をかけて、医科大学を新設しても、入学者定員を増やしても、地方の医師不足解消にはなりません。
 地方で働くお医者さんが、自分の仕事に生きがいを持てて、働きやすい環境を作ることが大切です。
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 僻地医療のために設立された、自治医大の卒業生は、北海道でも確かに地域医療を支えています。
 大学医学部で、地域医療講座の担当教員となって活躍している先生にも、自治医大出身者が多いと聞いています。
 自治医大以外の政策で、僻地医療が改善したのは、あまり聞いたことがありません。
 医学部の入学定員を増やしても、入試方法を変えても、医師が地域で働きたくなるような政策がないと、地方の先生は増えません。

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