昔の記憶

車の想い出

 私も若い頃は、
 が欲しい…
 とか、
 どこかへ行ってみたい…
 とか、
 そんながありました。
 学生時代には、
 父親の古い車を借りて、
 楽しんで乗っていました。
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 当時の本間家は、
 超ビンボーだったので、
 とても新車を買う余裕はありませんでした。
 私は公立大学で、
 授業料は一ヶ月分が3,000円でした。
 それでも予備校1年間+大学6年間は、
 お金がかかったと思います。
 私の弟は、
 芝浦工業大学という、
 東京の私大に行きました。
 仕送りが大変でした。
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 父親も車が欲しかったと思います。
 夕張、札幌の二重生活で…
 とても車を買う余裕はありませんでした。
 母親は生命保険の外交員をしていました。
 オイルショックの前でしたが、
 車はまだまだぜいたく品でした。
 そんな本間家に…
 はじめてのがやってきました。
 私が浪人中で…
 弟は高校生でした。
 父は夕張の炭鉱病院で…
 単身で薬剤師として働いていました。
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 父が勤務していたのは、
 三菱南大夕張炭鉱の、
 炭鉱病院でした。
 病院へは、
 札幌から製薬会社のMRさん、
 (医薬品情報を提供してくださる社員さん)
 がいらしてました。
 ある製薬メーカーのMRさんが、
 廃車になるという車を
 安く譲ってくださることになりました。
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 白いコロナでした。
 トヨタの車です。
 走行距離は10万キロを越えていました。
 それでも…
 しっかり整備されていたので、
 十分に走りました。
 当時走っていたタクシーと同じ型でした。
 父も私も喜んで…
 その車を大切に乗りました。
 札5
 さ・417
 というナンバーでした。
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 タイヤを買うお金がなかったので、
 中古のスパイクタイヤを買いました。
 雪が多い時には…
 タイヤチェーンを巻きました。
 日曜日に…
 父親が夕張へ帰る時…
 あまりにもすごい雪で…
 雪に埋まったら心配なので…
 予備校生の私が乗って行ったこともありました。
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 後輪駆動だったので、
 とにかくよくスリップしました。
 四輪駆動の乗用車など…
 夢のまたでした。
 シートベルトは2点式。
 頭部を保護する枕すら…
 オプションの時代でした。
 ラジオはAMのみ。
 スピーカーは1個でした。
 そんな車を一番よく磨きました。
 今は車があっても…
 乗る時間がなくなりました。

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