医療問題
介護を受ける身になったら…
私は現在55歳、
今年9月で56歳になります。
自分が介護を受ける身になったら…
ということを…
真剣に考える年齢になりました。
下(しも)の世話までしてもらって…
長生きはしたくないなぁ~
というのが本音(ほんね)です。
■ ■
私の母方の祖母は…
30台半ばで夫と死別。
沖電気の社員だった祖父とは、
仏壇の前の写真でしか
会ったことがありません。
母の一番下の弟(私の叔父)は、
父親の顔を見たことがないそうです。
祖母のお腹にいる時に、
祖父が単身赴任先の中国で病死しました。
■ ■
東京から…
第二次世界大戦がはじまる前に
郷里の札幌へ…
5人の子どもと帰ってきました。
札幌市北1条西10丁目の借家に住み、
親や兄弟からの援助をうけながら…
自分で身につけた和裁の技術で、
女手一つで5人の子どもを育てました。
■ ■
明るい人でした。
祖母の周りからは…
いつも笑い声が聞こえていました。
晩年は、
特別養護老人ホームでお世話になりました。
施設でも、職員の方に、
太田さん、おおたさんと、
とても可愛がっていただだきました。
■ ■
特養の職員の方が、
祖母のために
回転寿しに
連れて行ってくださったことがありました。
施設の車に、
車椅子を積んで、
祖母が好きだったお鮨を食べさせてあげたいと、
わざわざ行ってくださいました。
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私が大好きだった祖母です。
残念なことに…
最後は…
私が見舞いに行っても…
『あんた誰だったかねぇ…?』
『あぁ…けんちゃんだぁ…』
という状態になってしまいました。
もちろん…
下の世話を受けていました。
■ ■
特養の職員の方には…
ほんとうによくしていただきました。
今でも感謝しています。
祖母は…
特養に入居できるまで…
かなり長い間待ちました。
その間は…
老人病院でお世話になっていました。
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国は…
老人介護にかける予算をけちらないで…
スプリンクラーを付けた、
立派な施設を作るべきです。
資産家も…
ふつうの人も…
貧乏人も…
死ぬ時はいっしょです。
火葬場で焼いたら…
ただの灰です。
安心して介護を受けられて…
安心して死ねる世の中にしてほしいです。
左端が祖母の太田キヨ
30年前です