昔の記憶
大浦憲子様の想い出③
今日は大浦憲子様の告別式でした。
私も家内と参列させていただきました。
たくさんのお花に囲まれた、
憲子夫人の遺影が、
優しいまなざしでした。
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大浦武彦先生が書かれた、
闘病記が会場にありました。
憲子闘病記
2013年5月9日(木)21時40分(引っ越しの前日)
二人で二階の荷物を整理したときに急に喉の痛みを訴え倒れ、市立札幌病院救急部に運ばれました。その後、大手術と言われる手術を三週間の間に四回受けたにもかかわらず、奇跡的に助かりました。これは、市立札幌病院心臓血管外科部長をはじめ救急部と循環器内科のチームの賜物でした。
8月中旬
市立札幌病院のチームワークのお蔭で次第に回復しICUより四階の循環器内科病棟に移ることが出来ました。本人の意識もクリアとなりやっと本人も武彦も生きる望みが出てきたので、二人で励まし合いながら頑張りました。
これは二人にとって楽しい一時期でもありました。食事の介助の喜び、リハビリの楽しみ、少しずつ回復が得られる喜びなど二人で実感したものです。
この喜びを教えてもらって本当に良かったと思います。
11月9日(土)20時30分突然の心停止と呼吸停止が起きました。これは医学的に原因不明です。
11月18日(月)
山谷神父さんに“病者の塗油”の祈りを受け、これに勇気づけられたのか六時間後に天国に召されました。
私は未だ信心が足りないのか、天国に召された彼女を心から喜べません。
現実的には喜びから奈落の底に突き落とされた感じで、彼女が可哀想で涙が止まりません。
大浦武彦
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私は大浦先生の涙をはじめて見ました。
大浦先生と憲子夫人は1960年6月12日にご結婚されました。
会場のビデオで、
憲子夫人が純白のウェディングドレスを着た、
結婚式の写真が流れました。
とても美しい方でした。
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お二人の息子さんがいらっしゃいます。
形成外科医と整形外科医のご子息です。
お二人とも優しくて優秀な医師です。
お孫さんが3人いらっしゃいます。
幸せなご家庭の写真が、
ビデオで走馬灯のように写りました。
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大浦先生が涙声で、
結婚以来ほんとうに幸せだった。
毎日作ってもらったお弁当が、
美味しくてありがたかった。
今は毎日コンビニのお弁当です。
憲子が作ってくれるお弁当をもう食べられないと思うと、
ほんとうに残念です。
ほんとうにありがとう。
…とあいさつされました。
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大浦先生ご夫妻は、
長年住み慣れた一軒家から、
札幌駅近くのマンションに引っ越す予定でした。
憲子夫人が選ばれたマンションです。
奥様はマンションに引っ越す前に倒れられました。
一人になってしまわれた大浦先生を、
できる限りサポートして差し上げます。
亡くなった憲子様のご冥福をお祈りいたします。