昔の記憶
大浦憲子様の想い出②
私が結婚したのは、
研修医2年目の7月でした。
家内が住んでいたのは、
兵庫県西宮市です。
自宅から通勤していました。
私26歳、家内24歳でした。
若かったです。
■ ■
昔は、
教室の教授に仲人をお願いするのが常識でした。
私より上の先輩は、
全員、大浦武彦先生ご夫妻が仲人です。
今の若い先生はわかりませんが、
私が北大に在籍したいた頃は、
私も下の先生の結婚式に招待されていました。
■ ■
結婚式の前に、
大浦先生お宅にごあいさつに伺うのが通例でした。
私の場合、
家内も仕事をしていたので、
家内が札幌に来れる日に合わせて…
大浦先生のお宅におじゃましました。
家内はとても緊張していました。
■ ■
笑顔で迎えてくださったのが
大浦憲子夫人でした
憲子夫人は…
とてもよく気がつく方でした。
私も気がつく方ですが…
私の数倍、いや数十倍も気がつく奥様でした。
玄関を入ると、
よい香りがしました。
■ ■
私が札幌美容形成外科で、
よい香りのおもてなしをしているのは、
実は大浦憲子夫人のマネです。
よい香りは、
緊張を和ませてくれます。
最初は緊張していたのに…
大浦夫人のおもてなしでリラックスしました。
■ ■
居間に案内され、
出していただいたのが桜湯(さくらゆ)でした。
ピンクのきれいな桜の花が、
茶碗の中で開いていました。
私はそれまで見たことがなく、
おそらく家内もはじめてだったと思います。
大浦先生のお宅で、
お互いのことや家族のことなどをお話ししました。
■ ■
大浦憲子様は、
私たち夫婦の人生の師です。
いろいろなことを教えていただきました。
美味しい調味料を教えていただき、
今もわが家の味となっています。
今日は奥様のお通夜です。
謹んでご冥福をおいのりいたします。
ありがとうございました。
“大浦憲子様の想い出②”へのコメント
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素敵な奥様でしたね。桜湯はおめでたい席でよくだされますよね。 大浦先生の奥様だからできたのですね、 私は気持ちの余裕もないので そのようなおもてなしはできませんが、少しでも近づけるようになりたいものですね。。毎日せかせかして働き 妹からも病気が悪化して入院しないでね、といわれたばかりです。
私は本間先生にラベンダーの爽やかな香りでのおもてなしを受けました。
そして何より清潔感が漂ってました。
先生のお人柄が忍ばれます。
私事ですが、桜湯で人前式をあげたのに、今は幸せを感じません。
iPhone代9000円、父の年金から出して貰うことで一応解決し、本日書き込みさせて頂いています。
でも無心は続くことでしょう。
ほのめかしていました。
父から外車を購入してもらってのに…
それだけでもありがたいと思って欲しいです。
それに以前生活費をもらっていましたがもう3ヶ月間出して貰っていません。
姑が給料をを握り、主人もそれに賛同してしています。
それが悔しいです。
話し合いをしようとしても、激高されます。
なので自分の思うことを言えなくなりました。
今年になって母が倒れてから、関係がおかしくなりました。
認知症の父も激怒してますが、離婚は我慢だと言われました。
結婚しても親不孝をしています。
友人4人に相談すると一同に自分なら離婚を考える、辛抱強いと言われました。
でも人生やり直すには不安材料が多すぎます。
私も50歳ですし、認知症の父を動かすと益々進むし、母は気管切開で胃瘻をしてます。
母のディサービスの事故の裁判で一年はかかることでしょうし。
その上1人っ子の私…全て私がしなければ…
頼る友人は札幌。
孤独です。
メンタルの先生に主人と上手くやっていきたいので
従う。
と言ったら「代償が大きすぎる」と言われました。
どういう意味だったのでしょうか?
聞くのを忘れました…
心が壊れかけています。
長々とすみません。