昔の記憶
大浦憲子様の想い出①
私が北大形成外科に入局したのが25歳でした。
今から34年前です。
札幌医大を卒業して北大病院の研修医になりました。
北大のことは何もわかりませんでした。
廊下で教授とすれ違っても…
何科の教授かもわかりませんでした。
■ ■
同期のいがちゃんこと、
井川浩晴先生から、
ほんまちゃん
あの先生が…
(医師)国家試験出題委員の…
葛西教授
…と教えてもらいました。
■ ■
入局した年に、
第6回日本熱傷学会が札幌で開催されました。
第1回国際熱傷学会アジア太平洋地区会議も行われました。
私が北大形成外科で仕事をはじめたのが、
1980年5月。
学会は、
1980年6月18日(水)19日(木)でした。
形成外科のことも、
熱傷のこともさっぱりわかりませんでした。
■ ■
学会には、
米国からJohn A. Boswick教授ご夫妻など、
世界中から偉い先生がたくさんいらっしゃいました。
学会で私が命じられたのが、
写真係でした。
熱傷のことはわかりませんでしたが、
学会にいらした先生の奥様をご案内し、
札幌市内の観光案内で写真係をしました。
■ ■
25歳の私が写真係。
大浦武彦先生が49歳。
奥様の憲子様が44歳でした。
はじめて大浦先生の奥様を見た時、
なんて上品できれいな方だろう
…と思いました。
■ ■
奥様は外国の先生の奥様たち。
東京警察病院の大森清一先生の奥様。
日本形成外科学会や日本熱傷学会重鎮の先生の奥様たちを、
実に丁寧におもてなししていらっしゃいました。
日本の茶道・華道・着物、
日本舞踊などを上手にご紹介していらっしゃいました。
Boswick教授の奥様から、
私が撮った写真がとても気に入ったと、
帰国後にデンバーから写真集を送ってくださいました。
忘れられない思い出です。
私はおもてなしの心を大浦憲子様からご指導いただきました。
“大浦憲子様の想い出①”へのコメント
コメントをどうぞ
素敵な方だったんですね。
本当に惜しい方を亡くしました。
私事ですが、主人と姑、叔母が結託して
お金の問題でもめています。
PCもスマホも使用禁止と宣告されました。
(今、主人は外出しているんです)
私が明日出没しなかったら
そういう訳だと思って下さい。
家庭内別居だと告げられました。
お金は縁の切れめなんでしょうか?
夫婦の仲を修復しようと頑張ってきましたが、
自信が無くなりました。
大浦先生の奥様のご逝去を、本日理事長にお伝えしました。
心よりご冥福をお祈り致します
素敵な奥様でしたね。ご冥福をお祈りいたします。