医学講座

形成外科42年のあゆみ⑯

 形成外科42年のあゆみの続きです。
 形成外科医になろう、
 美容外科医になろう、
 …という若い人がいたら、
 医学部に入るところが一番の難関です。
 医学部入試は今も昔も難しいです。
 私も入れるとは思っていませんでした。
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 私の人生に一番大きな影響を与えてくださったのが、
 高校3年生の時に通った、
 予備校の夜間ゼミでした。
 そこで矢野雋輔やのしゅんすけ先生との出会いがありました。
 もし矢野先生の講義を聴いていなければ、
 私は医師になれませんでした。
 そのくらい私の人生を変えてくださったのが、
 矢野先生の講義です。
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 けんいち少年は医学部を目指していましたが、
 成績は低迷。
 とても…
 現役合格できるレベルではありませんでした。
 札幌西高校では生物は一年生で履修しました。
 生物は好きでしたが、
 模試の成績は…
 いま一つ…
 パットしませんでした。
 北海道新聞の広告で、
 桑園予備校という予備校が、
 夜間ゼミを開講するというのを知りました。
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 母親に頼んで、
 この夜間ゼミを受講しました。
 当時は、
 夏期講習や冬期講習など、
 札幌にあった、
 札幌予備学院(現、河合塾札幌校)と
 桑園予備校(現在はありません)
 の2校が
 現役受験生向けの講習を開いていました。
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 私の家は裕福ではありませんでした。
 父親は夕張で単身寮生活。
 母親は生命保険の外交員をしていました。
 贅沢ぜいたくはしていませんでしたが、
 子どもの教育費だけは、
 何とか捻出してくれていました。
 西高の授業が終了した後で、
 バスで予備校へ通学しました。
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 授業は17:00開講。
 19:00までの2時間でした。
 矢野先生の授業(講義)は、
 あっという間に2時間が過ぎました。
 今でも先生の顔、声、授業内容を
 とても鮮明に覚えています。
 授業は
 入試に出る生物100というタイトルでした。
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 桑園予備校には、
 当時としては最新鋭のコンピューターがありました。
 矢野先生は、
 このコンピューターで過去の入試を分析。
 入試に出る生物100を抽出し、
 その講義をしてくださいました。
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 講義内容は素晴らしく、
 培風館(ばいふうかん)という会社の、
 生物精義という参考書以上の内容でした。
 私が不得意だった、
 生物の分類も、
 (生物の)名前は
 お経(きょう)のように…
 何度も口に出して、となえて… 
 覚えるしかありません…
 トイレに紙を貼って覚えなさい!
 …とご指導していただきました。
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 原索動物(げんさくどうぶつ)例えば…
 ギボシムシ(現在は半索動物に分類)
 ホヤ
 ナメクジウオ
 と今でもスラスラ出てきます。
 矢野先生の夜間ゼミのおかげで、
 私は冬の校内模試で、
 生物が一番になりました。
 後にも先にも、一番をとったのは
 この生物だけでした。
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 残念なことに数学ができなくて浪人しました。
 一浪した予備校時代にも、
 札幌予備学院で矢野先生にお世話になりました。
 人間とは不思議なもので、
 それまでダメだった私が、
 矢野先生の生物の講義のおかげで、
 他の科目の成績まで伸びました。
 いま、こうして医師免許を取得し、
 医師として生活できるのも、
 矢野先生と出会ったからだと…
 一度も忘れたことはありません

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 68歳になった今も、
 矢野先生のことを忘れたことはありません。
 恩師、大浦武彦先生の奥様、故大浦憲子様が、
 藤女子大学で、
 矢野先生の教え子だったと、
 教えていただいたことがありました。
 私が形成外科医になれたのは、
 矢野先生や大浦武彦先生のおかげです。

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