医学講座

形成外科42年のあゆみ⑧

 形成外科42年のあゆみ
 ようやく中学校まできたところで
 一週間のお休みが終わりました。
 せっかく書き始めたので、
 もう少し続けさせてください。
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 私が卒業した夕張市立鹿島中学校は、
 大夕張の唯一の中学校でした。
 大部分の生徒は地元の高校へ進学しました。
 私が中学生だった50年前は、
 地元の高校に進学しないで、
 進学校と呼ばれる、
 函館ラサール高校や、
 札幌の高校に進学する生徒もいました。
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 私は家庭教師の永井先生がおすすめしてくださった、
 札幌西高校と函館ラサール高校を受験しました。
 幸運にも両方とも合格できました。
 私は弟も札幌の中学校に進学するため、
 札幌西高校に行きました。
 よかったのはここまででした。
 大夕張では成績優秀者の一人でしたが、
 あっという間に急降下しました。
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 大夕張の田舎から出て来て、
 毎日、バスで通学するだけで大変でした。
 とにかく人が多いのに驚きました。
 毎日、通学だけで疲れました。
 その上、勉強はできず…
 英語の暗記はできず…
 高校に入ってから劣等生になりました。
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 札幌市内や道内の中学校から選抜された450人が集まったのです。
 正規分布した母集団です。
 大夕張では成績が優秀だったとしても…
 高校に入ってから成績が落ちるのは、
 当然と言えば当然の結果です。
 友人はすぐにできました。
 お前、英語の暗記できた?
 できねぇ~
 勉強しようと思ったけど寝ちゃった。
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 最初の定期試験で、
 何と英語が赤点ぎりぎりでした。
 英語が不得意科目になりました。
 1970年5月にあった…
 高校一年生はじめての中間試験。
 英語の文法、
 札幌西高では、
 composition(コンポジション)
 を略してコンポと呼んでいました。
 このコンポがダメでした。
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 毎日、必死に勉強したのに、
 100点満点の24点でした。
 21点以下が赤点だったので、
 かろうじてセーフでしたが、
 生まれてはじめて24点なんて点を取りました。
 札幌の有名中学校を卒業した同級生には、
 楽勝だった人もいました。
 学校をやめたくなりました。
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 勉強の仕方もわかりませんでした。
 高校一年生のけんいち少年は
 英語の辞書が、
 手垢で黒くなるまで、
 何度も繰り返して開きました。
 他の教科も含めて、
 勉強で苦労していました。
 とても医学部へ入れるレベルではなく、
 将来の展望も持てませんでした

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