昔の記憶

チャレンジする母親でした

 今日は2024年4月21日(日)です。
 札幌はとても寒いです。
 サクラが開花したのに、、、
 お花は一時ストップしています。
 ばあさんの誕生日で昔のことを思い出しています。
 95歳まで元気で長生きしました。
 本間家の最長寿です。あっぱれです。
 強情気の強い人でした。
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 小さい頃の私
 2009年7月23日の院長日記です。
 お父さんが生きていたら
 というのが母の口癖でした
 お父さんが生きていたら…
 (自分も上の学校(大学)へ行けたかも…)
 (もっと苦労しなくてもよかったかも…)

 というようなことをよく言っていました。
 子ども心に覚えています。
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 母の父親は、
 東京の人でした。
 沖電気に勤めていました。
 札幌に赴任して、
 私の祖母と結婚しました。
 残念なことに、
 中国に単身赴任中に、
 40代の若さで亡くなりました。
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 母の一番下の弟は、
 父親の顔を見たことはなく、
 抱っこされたこともありません。
 中国(満州)で亡くなった後も、
 祖母は妊婦で小さな子どもがいるので行けず、
 長男が遺骨を引き取りに行ったと聞いています。
 祖母は30代で未亡人になりました。
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 父親がいなかったので、
 祖母は苦労して5人の子供を育てました。
 私のこともかわいがってくれました。
 私の母親と違って、
 祖母からは、
 夫が生きていたら…)
 というようなことは聞いたことがありませんでした。
 明るい人で、
 いつも笑い声が聞こえていました
      ■         ■
 昔、自分が行きたい学校に行けなかったためか?
 母親は何にでもチャレンジしていました。
 自動車の運転免許を取ったのも50歳を過ぎてからでした。
 パソコンのキーボードもわからなかったのに、
 ローマ字かな変換で文字を打っていました
 iPadiPhoneも使っていました。
 AMAZONで買い物もしていました。
 ばあさんのお世話は大変でしたが、
 今となってはなつかしい思い出です。

パソコンで株価を見る母親でした

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