医学講座

知床遊覧船事故から2年

 今日は2024年4月23日(火)です。
 札幌は今日も寒いです。
 が咲いていますが寒いのでなかなか満開になりません。
 今日で知床遊覧船事故から2年です。
 私は道新に載っていた、
 今までありがとう 船が沈みよるけんが忘れられません。
 心からご冥福をお祈りいたします。
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 せっかく北海道旅行にいらしてくださったのに、
 最悪の事故になってしまい言葉もありません。
 今日の北海道新聞の記事です。
 知床事故2年 遺族が慰霊碑設置要請へ 斜里町と23日面会
 【斜里】オホーツク管内斜里町の知床半島沖で沈没した小型観光船「KAZU I(カズワン)」の事故から2年となる23日、同町ウトロ地区で追悼式が開かれる。参列する遺族は同日、斜里町側と面会し、慰霊碑の設置を求める。町側は慰霊碑について「現時点で白紙」とするが、大規模事故の慰霊碑は道内外にあり、遺族の心のよりどころや、教訓を伝える場になっている。事故発生から2年、慰霊のあり方が問われている。
 「事故の風化を防ぐためにも、家族を亡くした土地に慰霊碑を設置してほしい」。追悼式への参加遺族で、家族3人を亡くした道外の男性(38)はそう訴える。
 事故では乗客乗員全26人が死亡、行方不明となった。参列遺族は、斜里町の山内浩彰町長らと追悼式前の23日午前に面会する。遺族はその際に、慰霊碑の設置について意見交換する考えで、男性は「一歩でも前進できれば」と話す。
 一方、ある遺族は「事故を思い出すのもつらい。慰霊碑ができても、名前は刻んでほしくない」と明かし、遺族間に温度差がある。
 斜里町には事故後、全国からの寄付金約1千万円を基金に積み立てているが、山内町長は慰霊碑について「現時点では白紙の状態。慰霊の方向性は乗客家族の総意が前提となり、その思いを受け止めたい」と話す。
 「2年たっても優さんの笑顔の写真に私は笑顔で返せないままです」。死亡した千葉県の橳島(ぬでしま)優さん=当時(34)=と結婚を約束していた女性(47)は22日、追悼式に参加するため斜里町を訪れ、役場の献花台にそう記したカードを供えた。
 献花台は26日で花などの受け付けを終了する。女性は「供えられているたくさんの花や手紙を見て、多くの優しさを感じた。犠牲者にかけがえのない人生があったとしのぶ場所を設置してほしい」と願う。
 道内外で起きた大規模事故の慰霊碑は、現場付近に設置されるケースが多い。1996年2月に後志管内古平町の豊浜トンネルが崩落し、20人が死亡した事故も近くに建立した。
 犠牲者遺族で、古平町の自営業田畑正さん(70)は「今も月に1、2度は訪れて手を合わせる」と語る。慰霊碑には長女裕子さん=当時(13)=を含め、犠牲者全員の名前が刻まれている。費用はトンネルを管理する北海道開発局の職員の寄付金などで賄われた。
 長野県軽井沢町の国道で16年1月、スキーバスが転落し乗客乗員15人が死亡した事故では、遺族会が費用を出し、国から許可を得て現場付近の国道沿いに慰霊碑を建てた。死亡した乗客13人のうち12人の名前が彫られ、残る1人は遺族の希望で名前を刻まなかった。
 遺族会事務局を務める酒井宏幸弁護士(64)は「各地の観光バス事業者が社員研修で訪れる場所にもなっている」と強調する。
 自治体が主体的に動いた例もある。東京都豊島区の池袋で19年、高齢者が運転する自動車が暴走し、母子2人が死亡した事故では、豊島区が寄付金を募り、慰霊碑を建てた。一部で反対の声も寄せられたが、同区は「交通事故根絶への願いや、風化させないという思いを込めた」とする。
 事故の慰霊に詳しい金沢大の井出明教授(観光学)は「慰霊碑は風化の防止という社会的な意義を持つ。観光地での事故である以上、観光振興を掲げる自治体が仲介役となり、遺族の思いを反映する必要がある」と指摘する。(尹順平、佐藤海晟、長堀笙乃)

(以上、北海道新聞より引用)

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 ご遺族の意向もあると思いますが、
 私は慰霊碑に賛成です。
 事故を風化させてはいけません。
 世界中で同じような事故が起こる可能性があります。
 二度と同じような事故が起きないように、
 しっかりと対策を立てていただきたいです。
 北海道民の一人としてほんとうに申し訳なく思っています。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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