昔の記憶
絵が上手に描けません
私はできの悪い子どもでした。
不登校だった歴史もあります。
いじめにも遭いました。
その分だけ、
強くなったと思います。
やられたらやり返します。
小学校1年生の時に6年生と喧嘩をしました。
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もともと不得手だったのが、
絵と体育です。
特にマット運動とか鉄棒がダメです。
4月に学校がはじまると、
毎年ゆううつな日々でした。
体育で得意だったのは、
冬のスキーだけでした。
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絵も下手でした。
小学校に入って、
自分の絵が教室に貼られるのが嫌でした。
参観日に、
自分の絵を見られるのが嫌でした。
算数や理科の勉強は得意でしたが、
絵が苦手でした。
■ ■
60歳になって思うことは、
もう少し絵を習えばよかったなぁ~。
美術館に行っても、
モネも
ユトリロも、
どんな時代のどんな人だったか?
習った覚えすらありません。
美術の先生ごめんなさいです。
■ ■
絵が下手で困るのが、
カルテや手術記録です。
人体を、
正確に描けないとダメです。
特に形成外科医は、
専門医試験で手術のデザインを書くことがあります。
絵が上手だとそれだけで得をします。
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昔、北大形成外科の臨床実習で、
大浦武彦教授が、
医学部6年生の学生さんに、
よく耳の絵を描かせて、
そこに、
部位の名前を記入させていました。
100点満点の学生はまずいませんでした。
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下の絵は日本形成外科用語集です。
耳の形を正確に描けないと、
専門医試験には通りません。
helix 耳輪じりん
antihelix 対耳輪たいじりん
triangular fossa 三角窩さんかくか
crus of helix 耳輪脚じりんきゃく
tragus 耳珠じじゅ
antitragus 対耳珠たいじじゅ
earlobe 耳垂じすい
scapha 舟状窩しゅうじょうか
auricular concha 耳甲介じこうかい
これだけの名前でも大変です。
“絵が上手に描けません”へのコメント
コメントをどうぞ
私は体育がまるでダメでした。
2だったこともあります。
親が嘆いてました。
絵は苦手でしたが、木彫りと粘土と版画で出品されたと友達に言うとマニアックと笑われました。
耳の部分には色んな名前がついてるのですね。
全く知りませんでした。
お医者様は本当に頭がいいのですね。
今更ながらに思いました。
私も得意ではなかったです。先生!気になさらなくていいと思います。100%完璧な人間なんていないと思うので。 私が小さい頃は、貧乏だったので何の習い事もしてなかったので 息子たちにはスポ少と習字だけは習わせました。 びっくりしたのは次男のアパートに行った時に見たノートでした。あの息子がこんなに綺麗に看護ノートを書いていました。その時 ああ習字習わせてよかったと思いました。 なぜか 脳神経外科の母の主治医は沖縄出身の先生ですが、野球のピッチャーもされていますし、絵手紙も上手です。ただ失礼ながら文字がミミズみたいで読めません。 先生私は今でこそ体格がいいですが、小さい頃はガリガリでした。体が弱く小学校の運動会や水泳にはあまりでた事がなく いまだに泳げません。もちろん 絵など飾るような家ではなくおんぼろです。 山形の画家真下さんの最上川くらいしか知りません。詳しいなっちゅんさんが羨ましいです。
さくらんぼさん
私は絵も詳しくはありませんよ^^;
海外で美術館巡りが観光に入ってると最後には椅子に座って待ってます。
一緒のツアーの方はごゆるりとご鑑賞されてました。
この差なんなんでしょう 笑