昔の記憶
阪神淡路大震災から25年
今日は2020年1月18日(土)です。
昨日1月17日は阪神大震災から25年でした。
25年前、私は40歳でした。
1995年は平成7年です。
私は市立札幌病院から、
JA帯広厚生病院に転勤した直後でした。
毎日極寒の中を、
冷え切った車で通勤していました。
■ ■
地震が起きたのが、
午前5時46分でした。
朝のTVでは詳細がわからず、
大きな災害が起こったことだけが報道されていました。
うちの奥さんは神戸の出身です。
実家に電話をしてもつながりません。
何が起きたのかわかりませんでした。
■ ■
大災害だとわかったのは、
かなり時間が経過してからでした。
当時、奥さんの母親は、
奈良県香芝市に住んでいました。
幸いなことに、
被害はありませんでした。
後から聞いたら、
家が壊れるかと思うほど揺れたそうです。
■ ■
私が勤務していた、
JA帯広厚生病院から、
北海道厚生連の示指で、
救援隊が派遣されました。
被災地に行った先生や看護師さんから、
とても大変だったとお聞きしました。
変わり果てた神戸を見て、
うちの奥さんの目に涙がありました。
■ ■
停電への備え2012
神戸の震災の後で、
私はキャンプ道具一式を買い、
いざという時のために備えました。
残念なことに、
使われないまま売ってしまいました。
残っているのはマグカップだけです。
■ ■
2018年の北海道胆振東部地震いぶりとうぶ地震。
北海道全体がブラックアウトになりました。
コージェネレーションが活躍しました。
タワーマンションではEVが使えず、
非常階段が真っ暗になり困りました。
災害は忘れた頃にやって来る
もう一度、水のストックを確認します。
災害は来ないのが一番いいですが、
いつ来るかわかりません。
東京に大地震が来ないことを祈っています。
“阪神淡路大震災から25年”へのコメント
コメントをどうぞ
25年になるのですね。当時の
奥さまのお気持ちお察しします。
私は高校生で前年に修学旅行で
初めて神戸を歩き、楽しい思い出
ができた街が大変なことになり
大阪の知人が救援物資を
線路を歩いて運んだ話などを聞いて
驚いたのを記憶しています。
先生がおっしゃるように
「災害は忘れた頃にやってくる」
何事もないことを祈りつつ
水の確認を私もします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。マンションの階段を上り下りできるうちはいいですが、EVが止まると大変です。海に近い湾岸のマンションは津波が来たらどうなるのか?羽田空港はどうなるのか?と思います。災害が来ないのが一番ですが来た時への備えも大切だと思っています。
奥様はお母様とご連絡が取れず
ご心配なさったでしょうね。
私も震災の後、非常袋を作りましたが
余りに重く持ち出せない状態でした。
その後薬や乾パンなど
消費期限が切れて捨てました。
それをキッカケに解体しました。
一昨年のブラックアウトで
再度非常袋を作りました。
半分以下の重さになったと思います。
水も購入してありますし、
トイレ用の水も確保してあります。
ですが使用することなく
時が過ぎて欲しいです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。25年は過ぎてしまうとあっという間ですね。私の子供たちは小学生から30代になりました。今は家内と犬と暮らしています。生きている間に災害が来ないといいですが、、、
もう25年経つのですね。その後東北大地震で震源地から少し離れているのに震度5弱でも電線は揺れ、池の水も揺れ、剪定していた主人は地面が揺れるのを初めて見たそうです。災害には縁がないと思っていましたが、それから必需品は揃えておかなきゃと思います。ガソリンは困りました全国の皆さんも備えてください。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。ご主人様は剪定なさっていらしたのですね。私は眼瞼下垂症の手術をしていました。そのまま手術を続けました。阪神淡路大震災の時は帯広の家でTVを見ていましたが、朝の時点では詳細がわかりませんでした。神戸を見て家内は涙を流していました。もう地震は嫌ですがまた来ますね。