医学講座
当直バイトで生活費を稼ぐ
今日は2023年6月6日(火)です。
北区新琴似の思い出の続きです。
結婚する前に私の給与明細を見せたら、
奥さんの目が点になりました。
無理もないと思います。
どう考えても北大病院のお給料だけでは生活できませんでした。
■ ■
私の結婚式1981年
人生で一番お金がない時期でした。
貯金はほぼゼロでした。
私は大学を卒業したばかりで研修医1年目。
結婚式が研修医2年目でした。
奥さんは、
短大を卒業して20歳で就職し
4年間働いていました。
お給料が良い会社でした。
堅実に貯金もしていました。
私より貯金がありました。
■ ■
私は北大病院からいただく10万円程度のお給料だけ。
ボーナスも、
時間外手当もありません。
地方の病院に月2回程度ある出張と、
夜間や土日に、
市内の病院の当直アルバイトをして、
何とか生活していました。
奥さんの収入の半分くらいでした。
家賃4万5千円程度(管理費含)の公団住宅でも大変です。
■ ■
北大病院の中でも、
旧6-3病棟の皮膚科と形成外科が貧乏だと言われてました。
他の内科や外科の研修医は、
それなりにいいバイト先がありました。
形成外科には当直バイトの先もありませんでした。
たまたま内科の同期から、
『当直に行けなくなったんだけど行ってくれない?』
…と電話がありました。
『行くいく』
一晩3万円程度の当直バイトでしたが、
ありがたく行かせていただきました。
■ ■
形成外科医として手術ができるわけでもなく、
ふつうの医師としてみても、
採血も点滴も看護師さんより下手でした。
高級優遇の仕事なんか、
自分にはできるわけがないと思ってました。
だから当直のバイトはありがたかったのです。
こまめにバイト当直をして、
生活費を稼いでいました。
■ ■
法律で20床以上の病床がある病院は、
かならず当直医を置かなくてはいけません。
常勤医だけで当直を回すのは無理なので、
今でも大学病院の先生のバイト先に当直があります。
寝心地のいいベッドがある病院もあれば、
古いベッドの病院もありました。
検食という名の病院食がありました。
私はどこの病院の食事もおいしくいただきました。
人生で一番貧乏だった研修医時代も、
北大形成外科の先輩に恵まれたので、
私にとっては一番いい楽しい思い出がある時期です。
“当直バイトで生活費を稼ぐ”へのコメント
コメントをどうぞ
なんで大学病院の医師が他病院の当直に行くのかわかりました。
子供が大学を卒業するまでお金がかかりますものね。
うちも息子2人が遅くまで何回も学校に入ったので個人年金はすっからかんです。
研修医10万は奥さんが目が点になるのもわかります。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。当直バイトは今も昔も同じです。給与も変わらないようです。寝心地がいいベッドで当直室がきれいで食事が美味しい病院は人気があります。私が院長だったらちょっと当直室にお金をかけて『当直に行きたい病院』にします。常勤医だけで当直を回すのは無理なんです。
先生は努力の人だと思います。
堅実な奥さまと協力なさって
苦労の時代を経てきて、
今の本間先生がいらっしゃるの
ですね。
先生の日記を拝見するまで、
医師になったらすぐに困らない生活
ができると思っていました。
私の子供時代(新琴似)は
母子家庭で裕福ではなかったですが
楽しい思い出もあります。
お金ではない何かがあったのだと
思いました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。お金ではない何かがあると思います。私には貯金もないし(奥さんにはありました)、お給料もよくはなかったですが、奥さんが作ってくれた愛妻弁当を持って北大に通ってました。人生で一番しあわせだった時期です。今も昔も大学病院の先生のバイト先は当直が多いです。いろいろな経験ができてよかったと思っています。
研修医時代はお給料が少なく
奥様も本当に驚かれたと思います。
ですが当直のバイトを
頑張ってしていたのですね。
お写真、とてもお幸せそうで
いいですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。研修医が貧乏だったのはどこの大学も同じです。あの有名な慶応大学はもっと少なかったと聞いたことがありました。当直バイトに行って英文論文を書いて教授になった先生も知っています。とても立派な先生です。