昔の記憶

函館の想い出①

 函館中央病院には…
 たくさんの想い出があります。
 昭和63年4月から平成元年3月までの
 一年間は、
 濱本淳二先生
 鳴海栄治先生
 と3人で勤務しました。
 他の病院が2人体制だったのに、
 3人で比較的余裕がありました。
 私が2番目で、
 濱本先生は北大形成外科の元助教授。
 大ベテランの先生の下で、
 充実した毎日でした。
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 前任地の釧路労災病院では、
 2人体制で…
 労災病院という立場上…
 救急患者が多く、
 とても忙しい病院でした。
 私が函館へ赴任した時は33歳でした。
 子どもは…
 長女が4歳6ヵ月。
 長男が2歳6ヵ月でした。
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 長女は幼稚園を3回変わったため…?
 とにかく…
 駄々っ子で…
 家内をいつも困らせていました。
 よくスーパーへ行くと…
 スーパーの床を転げまわって…
 駄々をこねている子どもがいます。
 長女は、まさにこれでした。
 私は怖い『おやじ』だったので…
 私と一緒の時は…
 床を転げまわることはしませんでしたが…
 家内と一緒の時は…
 駄々っ子を発揮していたようです。
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 函館中央病院へは…
 五稜郭から歩いて通勤していました。
 近くにあった、
 函館五稜郭病院の横を通って、
 丸井今井デパートの横を通って、
 毎日、通勤していました。
 先日、函館を訪れた時は…
 観光バスや乗用車で道が溢れていました。
 家内と思わず…
 すごいところに住んでいたんだねぇ~
 と話していました。
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 札幌へ転勤してからは忙しくなりましたが、
 函館の一年間は、
 子どもと五稜郭公園に行ったり…
 家内の実家に夏休み行ったり…
 濱本先生のお許しを得て、
 カナダの国際学会へ行かせていただいたり…
 人生の中でも…
 一番、ゆっくりできた時期だったように思います。
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 家でも…
 子どもと一緒にお風呂に入ったり、
 なるべく子どもと遊んでいました。
 長女の幼稚園のクリスマス会にも行けました。
 函館には温泉がたくさんあり、
 よく温泉家族風呂へ行きました。
 この頃は…
 将来、自分が開業して…
 美容外科医になるとは…
 夢にも思っていませんでした。
 平凡な勤務医がいいと思っていた、
 幸せな時代でした。


1988年9月20日
長女の5歳の誕生日です

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