昔の記憶
函館の想い出④
楽しいことばかりだった函館にも、
忘れられない嫌な想い出があります。
泥棒に入られたことです。
1988年8月、
私は一週間の夏休みを、
濱本淳二先生からいただきました。
家内の両親が住んでいた、
大阪府吹田市(すいた)に行きました。
■ ■
当時は関西国際空港はなく
(1994年9月4日開港です)、
大阪国際空港(伊丹空港)が関西の空港でした。
家内の両親は、
伊丹空港まで出迎えてくれ、
『よう来たなぁ!』と
大歓迎してくれました。
義父は国鉄を定年退職し、
大鉄工業というJR西日本の軌道工事をする、
大阪支店大阪営業所長をしていました。
会社近くのマンションに住んでいました。
■ ■
大阪は暑いなぁ~~
と言いながら、
エアコンをつけて寝ていました。
(北海道ではエアコンをつけて寝るのは
一般的ではありません)
深夜0時過ぎでした…
函館から電話がありました。
『こんばんは、函館の…』
お隣のゆりちゃんのお母さんからでした。
■ ■
『夜遅くにごめんなさい』
『中央病院の看護婦さんに聞いてお電話しました』
今のように携帯電話はありません。
私たちが持っていたのはポケットベル。
それも北海道内だけがエリアでした。
ゆりちゃんのお母さんは、
看護婦さんでした。
大阪の家内の実家に行くことは、
話していたようですが、
連絡先までは知らせていませんでした。
とっさに‘病院の詰所だったらわかる…かも?’
と聞いてくださったのでした。
■ ■
『今、本間さんの家に泥棒が入っているみたいです。』
『110番して、主人が見に行っています。』
『石を踏む音がして…』
『お留守な筈なのに、電気が点いたんです。』
どろぼう?
眠気は一気に吹っ飛び、
私たちは大パニックになりました。
さぁ大変。
貴重品は?
何がどこにある??
通帳と印鑑は???
■ ■
110番で警察が来てくださり、
犯人は玄関から逃走した後でした。
警察に連絡をすると、
被害届けを出さなければいけないとのことでした。
深夜の大阪で、
眠れぬ一夜を明かしました。
当時はネットもないので、
PCで飛行機の予約状況もわかりません。
唯一できたのが、
プッシュホンによるダイアル予約でしたが、
それも夜間は運用停止でした。
■ ■
眠れぬ夜を明かして…
私だけ函館へ戻ることになりました。
朝一番で全日空予約センターに電話しました。
残念なことに、
飛行機は満席。
大阪→東京も
東京→函館も満席です。
すぐに伊丹空港へ向かって、
空席待ちの券をいただきました。
運良く…
最後の一人で東京行きに乗れ、
羽田でまた空席待ちでした。
■ ■
羽田でも運良く空席ができ、
函館行きに乗れました。
お昼過ぎには函館に到着し、
五稜郭のアパートに行ってみると…
わが家には、無残に足跡が残っていました。
犯人は複数犯でした。
指紋を採取していただき、
私の指紋も取られました。
盗まれたのは現金でした。
■ ■
被害届けは…
一万円札が何枚、
五千円札が何枚、
千円札が何枚、
500円が何枚、
百円が何枚、
50円が何枚、
10円が何枚、
と全部記入しなくてはいけません。
こんなこと?
私にはわかりませんでした。
■ ■
家内に電話しながら、
被害届けを書きました。
現金の被害も大変でしたが、
貴重な私の夏休みの一日と
大阪⇔函館の航空券代が痛かったです。
結局、泥棒は捕まりませんでした。
警察の話では、
複数の少年による犯行とのことでした。
被害届けを出した後で、
私は大阪へ向いました。
よい人ばかりの函館にも…
残念なことに泥棒がいました。
この泥棒の‘おかげ’で、
本間家の防犯意識が変わりました。
私の家はこの道沿いでした