昔の記憶
函館の想い出②
私が北大病院の研修医だった頃も…
30年後の今も…
大学病院の研修医には…
住宅手当がありません。
研修医用の‘職員住宅’がある、
大学附属病院も、
防衛医大や自治医大など、
特殊な大学だけだと思います。
■ ■
大学病院からいただく、
‘お給料’だけでは生活できないため、
(私の頃で、年収200万円以下です)
当直などのアルバイトで…
生活費を稼いでいました。
研修医になりたての頃に乗っていたのは、
ドアが開かないサニーでした。
結婚した時には、
父親から結婚祝いに、
父親が乗っていたカローラをもらいました。
それでも十分に幸せでした。
■ ■
大学病院から、
地方病院へ‘出張’へ行くと…
格段に待遇が違いました。
住宅は病院が準備してくれました。
病院の総務課の方が、
準備してくださるのが一般的でした。
お給料は病院によって違いましたが…
当時の函館中央病院は…
形成外科の関連病院の中では最高でした。
ず~っと、函館にいたいと思いました。
■ ■
私は釧路労災病院から、
函館中央病院へ転勤したので、
釧路で函館から送っていただいた…
何軒かの物件から、
五稜郭町のアパートを選びました。
子どもの幼稚園に近いとか…
近くに子どもが遊ぶ公園があるか…?
子どもを中心に選びました。
五稜郭の家は、
とにかく最高の立地でした。
前が五稜郭公園です。
■ ■
近所にも同じくらいの子どもさんがいました。
家のすぐ裏の‘ゆりちゃん’
近くの社宅に住んでいた‘まきちゃん’
家内は幼稚園を通じて、
たくさんのお母さんと友だちになれました。
私も…
家で…
子どもたちと夕食を一緒に食べることができた、
数少ない時期でした。
■ ■
函館は食べ物が美味しく、
住んでいる方もとてもよい人が多く、
温泉は近くにたくさんあり、
冬の雪は少なく、
空港は近くにあり、
北海道で最も早く開けた街なので、
歴史があり、
教育レベルは高く、
ほんとうに永住したいと思ったものです。
今でも…
老後は函館?と考えます。
函館の五稜郭公園
後方左端の家に住んでいました