昔の記憶
職を失って13年
人生にはいろいろなことがあります。
解雇通告と就職活動
私は2002年3月7日木曜日21:00に、
札幌医科大学医学部長室に呼び出されました。
神保孝一医学部長から解雇通告を受けました。
公務員なので…
『辞めろ』とは言えません。
周到に準備された、
【本間追い出し計画】により、
形成外科医局の女医さんが文章を準備していました。
■ ■
48歳で職を失いました。
ちょうど13年前の今頃、
札幌医大医学部で医学部長選挙が行われていました。
皮膚科教授の神保孝一が、
医学部長に再選を狙っていました。
神保孝一のことを、
ことごとく嫌になっていた私は、
対立候補を応援していました。
神保が再選されたら、
自分が辞める決意をしていました。
残念なことに神保孝一が再選されてしまいました。
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いろいろな人に助けていただき、
私は中央クリニック札幌院の院長に就任できました。
美容外科のこと、
経営のこと、
広告のこと、
たくさんのことを教えていただきました。
私をどん底から拾ってくださった、
中央クリニックの社長様には、
ほんとうに感謝しています。
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あれから13年が経過しました。
私は還暦を迎えました。
私の人生で、
一番大きな仕事は何だったかを考えると?
それは内部告発だったと思っています。
私が札幌医大に形成外科をつくりました
2013年10月7日の院長日記に書いてあります。
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私は自分が札幌医大に戻って、
いつか教授になってやろうとか、
そんなことは一切考えませんでした。
でも…
絶対に札幌医大に形成外科を創る。
強い決意と意思で画策しました。
私の人生で一番大きな仕事です。
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朝日新聞とNHKのご協力で内部告発をして、
札幌医大医学部長の神保孝一を減給3ヵ月の処分にしました。
大学もようやく重い腰を上げて、
形成外科教授の公募をはじめました。
私が札幌医科大学に形成外科をつくりました。
私の生涯で一番の仕事です。
【追い出された】ことで私の人生は変わりました。
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私の内部告発は、
医師名義貸し事件です。
私が朝日新聞に資料を提供しました。
札幌医大だけではなく、
全国で名義貸しが行われていました。
病院に対する医師名義貸しは、
私の内部告発を契機としてほぼ無くなったと思います。
私のために無くなった病院もあります。
無くなった病院からは、
うらまれていると思います。
これも私の人生です。
残された期間がどのくらいあるかわかりませんが、
自分に正直に生きていこうと思っています。