昔の記憶
命日2015
今日4月6日は家内の父親の命日です。
命日(めいにち)
2009年4月6日の院長日記です。
今日、4月6日は、
岳父(がくふ:家内の父)、
故_片寄茂八(かたよせもはち)の命日です。
平成5年(1993年)に、
兵庫県三田市(さんだし)のゴルフ場で、
急性心筋梗塞で亡くなりました。
64歳でした。
65歳になる23日で前でした。
■ ■
その日は火曜日でした。
市立札幌病院皮膚科の外来で、
13:30から診療を開始して、
間もなくでした。
看護婦さんが、
『先生、奥さんから電話です』
と電話を取り次いでくれました。
『こんな時間に何だろう?』
『子どもがケガでもしたのかなぁ…?』
と思って電話に出ました。
■ ■
電話を取ると…
家内の声が震えていました。
『おじいちゃんが…』
『おじいちゃんが…、死んだって…』
それを聞いて、
私は自分の父親が亡くなったと、
一瞬、思いました。
市立札幌病院へ勤務してから、
私は、毎日、救急部で、
‘ある日突然亡くなる人’を見ていました。
■ ■
亡くなる2日前まで、
私の子どもたち2人(小4と小2)が、
(ジュニアパイロットという子どもだけのフライトで)
家内の実家に遊びに行っていました。
『おじいちゃんに遊園地に連れて行ってもらった』
『おじいちゃん、ちょっと辛そうだった』
『酸欠でなぁ』と休んでいた。
など子どもと話していたところでした。
■ ■
今から考えると、
下肢の動脈が細くなって、
足が冷たいというので、
登山用の靴下を送っていました。
他にも前兆らしき症状がありました。
亡くなった年のお正月は、
はじめて正月に家内の実家に行きました。
(当直や仕事でお正月には行けませんでした)
孫たちと遊園地に行って、
義父はうれしそうでした。
■ ■
お正月の前から、
間欠性跛行かんけつせいはこうという症状があり、
整形外科に通っていました。
下肢の血管が細くなっているので、
血管を広げる注射をしていました。
お正月は病院が休みなので、
遊びに行った私が義父に注射をしていました。
確かに足が冷たかったのを覚えています。
■ ■
その他、
亡くなる前年に、
眼科で目の血管が詰まっていると指摘され、
眼底の血管を撮影していました。
亡くなる前日には、
体調不良で、
会社の近くの病院を受診し、
胸部写真と心電図を撮っていました。
診断は風邪だったそうです。
■ ■
今から考えると、
私も甘かったと反省しています。
下肢と目の血管が詰まったら、
心臓や頭の血管も検査すべきでした。
前日に撮った心電図にも、
微細な異常はあったと思います。
ゴルフ場で心臓が停止し、
救急車が来た時に、
大丈夫やと言っのが、
義父の最期の言葉です。
■ ■
今だったら、
高性能のCTで心臓の血管を調べられます。
ステントという管を心臓の血管に入れて、
心臓の血流を確保できます。
私の知り合いにも、
心臓にステントが何本も入った先生がいます。
元気にしています。
亡くなってしまったおじいちゃんの年齢まで、
あと4年になりました。
私も健康に気をつけて、
迷惑をかけないような生き方をしたいです。
亡くなった時桜が満開でした。
22年前です。