昔の記憶
私の母の誕生日2015
今日は私の母親の誕生日です。
本間瑞子ほんまみずこ満87歳です。
昭和3年4月20日生まれ、
よく元気で長生きしたものです。
あっぱれです。
強情で気の強い人です。
■ ■
私の母は、
5人兄弟の2番目です。
男4人、
女1人です。
5人のうち、
長男は他界しました。
札幌生まれです。
■ ■
母の父親は、
東京の人でした。
沖電気に勤めていました。
札幌に赴任して、
私の祖母と結婚しました。
残念なことに、
中国に単身赴任中に、
40代の若さで亡くなりました。
■ ■
母の一番下の弟は、
父親の顔を見たことはなく、
抱っこされたこともありません。
中国(満州)で亡くなった後も、
祖母は妊婦で小さな子どもがいるので行けず、
長男が遺骨を引き取りに行ったと聞いています。
祖母は30代で未亡人になりました。
■ ■
小さい頃の私
2009年7月23日の院長日記です。
お父さんが生きていたら…
というのが母の口癖でした。
お父さんが生きていたら…
(自分も上の学校(大学)へ行けたかも…)
(もっと苦労しなくてもよかったかも…)
というようなことをよく言っていました。
子ども心に覚えています。
■ ■
父親がいなかったので、
祖母は苦労して5人の子供を育てました。
私のこともかわいがってくれました。
私の母親と違って、
祖母からは、
(夫が生きていたら…)
というようなことは聞いたことがありませんでした。
明るい人で、
いつも笑い声が聞こえていました。
■ ■
お父さんが生きていたら…
…と言っていた母親も、
自分の父親の倍も長生きしました。
最近の口癖は、
長生きするのも楽じゃない
長生きしすぎたです。
人間なんて勝手なものです。
介護も受けないで、
じいさんと二人でマンション生活。
立派なものだと息子の私は思います。
母親のご希望の通り、
ある朝気がついたら安らかに亡くなっているまで、
元気で長生きしてください。