昔の記憶
40年ぶりの寒さ
今年の冬は40年ぶりの寒さです。
札幌はまだ寒いです。
今年は札幌雪まつりは寒かったです。
海外からいらした方たちも、
思わぬ寒さに驚いたことと思います。
明日(2019年2月11日)で雪まつりも終わりです。
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ふと40年前のことを考えてみました。
40年前は1979年です。
昭和54年でした。
私は札幌医大の学生でした。
学部3年目なので、
通称、学3がくさんと呼ばれていました。
4月からは、
学部4年目で、
学4がくよんになります。
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今でも同じ呼び方かどうかわかりません。
学4がくよんになると、
毎日お医者さんのような白衣を着て、
聴診器を首からぶら下げていて、
とてもかっこよく見えたものです。
私は学4がくよんになっても、
まだ将来の道を決めていませんでした。
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昔は学4がくよんになって、
病院実習があって、
各科を回って、
実習の後にはレポートを書いて、
そんな毎日でした。
レポートが大変でした。
当時はワープロもPCもなく、
すべて手書きでした。
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内科実習のレポートが一番大変でした。
特に厳しかったのが、
第二内科だったと記憶しています。
札幌医大の第二内科は循環器内科です。
レポートやサマリーを書くのが苦手でした。
その頃には、
自分は内科医には向いていないと思うようになりました。
学生時代には数々の失敗があります。
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産泊さんぱく
…というお産の実習で倒れました。
教室で、
『本間、産泊で倒れた』
…と有名になりました。
親切な産婦人科の先生が、
『本間くん、ぎねに来ないか?』
…と誘ってくださいました。
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ぎねというのは、
産婦人科のことです。
和製ドイツ語です。
赤ちゃんが産まれるのは感動です。
実習で倒れた私でも誘っていただきありがたかったです。
私は癌で患者さんが亡くなる科は無理だと思って、
産婦人科はあきらめました。
婦人科の癌で患者さんが亡くなりました。
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いろいろ考えて選んだのが、
形成外科でした。
誘ってくれたのは、
同級生の福岡誠二先生でした。
二人で北大形成外科に行きました。
福岡先生は脳神経外科医になり、
私だけが形成外科医になりました。
40年前の思い出です。
寒かったことは忘れました。