昔の記憶
産泊(さんぱく)の思い出
産泊(さんぱく)と言っていました。
お産(分娩)を見学するために、
医学生が病院に泊まることです。
札幌医大の学生と…
道立衛生学院助産婦科(今は助産師)の学生が…
札幌医大附属病院の産婦人科へ泊まって、
分娩の見学をしました。
■ ■
私が札幌医大を卒業したのは、
今から30年前です。
札幌医大は北海道が設立した公立大学です。
当時から、
道民のための医師づくりに重点が置かれていました。
離島の医師になっても…
僻地の医師になっても…
地域でたった一人の医師になっても…
なんとかできる医師
を目指していたように思います。
■ ■
今から考えると…
6年生の臨床実習は充実していました。
産泊もその一つです。
卒業するまでに、
最低3例以上の正常分娩を見ること。
という指導方針があったと記憶しています。
この考えには、
30年後の今も感謝しています。
■ ■
もし…
僻地の医師になって、
その地域で
急に産気づいた妊婦さんがいて…
『僕、お産なんて…』
『見たことありません…』
では困ります。
自分では何もできなくても、
助産師さんと協力して、
とにかく子どもを取り上げなくてはなりません。
■ ■
お産は毎日ある訳ではないので…
実習期間中に何泊かした記憶があります。
産婦人科のお昼ご飯は、
毎日、手づくりで美味しかったです。
夜食のおにぎりもありました。
実習中の学生は無料でいただきました。
医局で先生と話したことも…
楽しい思い出の一つです。
■ ■
私が最初に見学させていただいたのは、
経産婦の方でした。
お産は順調でした。
生命の誕生という
劇的な瞬間に立ち合わせていただき、
感激したことを覚えています。
産科医冥利という日記にも、
産科の素晴らしさが書かれています。
■ ■
不覚にも…
2例目のお産で、
私は倒れました。
一緒にいた、
助産婦科の学生さん(女性)が、
助けてくれました。
その産婦さんは経産でした。
特に問題はないとのことでしたが…
悲痛な叫び声を上げました。
その声を聞いて…
具合が悪くなりました。
■ ■
赤ちゃんは無事に誕生しました。
翌日、教室で級友から…
『本間、ゆうべ…産泊で倒れたんだって…』
と有名になりました。
倒れた理由
に書いた子どもの司法解剖についで、
2回目でした。
友人の間では、
『本間は血に弱い』
という認識が広まりました。
■ ■
こんな経験をできたのも、
古きよき時代の思い出です。
今の大学病院には…
正常分娩の産婦さんが少なく、
札幌医大でも…
卒業までに3例も正常分娩を見学できないようです。
他の大学病院でも、
帝王切開は見学できても、
正常分娩の症例がないため、
多くの医学生が正常分娩も見学せず…
医師免許を取得しているそうです。
“産泊(さんぱく)の思い出”へのコメント
コメントをどうぞ
私も学生時代の産科実習中、運良くお産に立ち合う事が出来ました。
でも・・・なぜか・・・新しい生命の誕生!とか感動!と言う気持ちはまったくなく・・・淡々と産後の胎盤の測定(重さ・直径など)をしていた記憶だけが残っています。
日記の内容に関係ないコメントですみません。本日受診させていただきました者です。相談に乗っていただき、もやもやした気持ちがすっきりしました。「手術するべきでない」と自分の利益ではなく、本当に患者の立場になって考えてくださるすばらしい先生だと感激しました。先生がおっしゃったようにういたお金で家族で美味しいものを食べにいきますね♪毎日笑顔で頑張れそうです(^^)
卒業まで3例の正常分娩を見なければならないとは知りませんでした。 どこで、何があっても 対処できるようにですね。
私は個人病院でお産しましたが、友達は某病院でお産しましたが、分娩室を見学に来た医師の卵が窓越しにみたら同級生のお兄さんで 思わず 顔を隠して 痛いより 恥ずかしかったという想い出があるそうですが、そういうことだったのですね。(笑)どこの大学も3例なのでしょうか?
とにかく 分娩は痛いので 叫びたくなるし、分娩終えた自分の顔は凄かったです。男にはあの痛さはわからないでしょう。