昔の記憶
産泊(さんぱく)の思い出
産泊(さんぱく)と言っていました。
お産(分娩)を見学するために、
医学生が病院に泊まることです。
札幌医大の学生と…
道立衛生学院助産婦科(今は助産師)の学生が…
札幌医大附属病院の産婦人科へ泊まって、
分娩の見学をしました。
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私が札幌医大を卒業したのは、
今から30年前です。
札幌医大は北海道が設立した公立大学です。
当時から、
道民のための医師づくりに重点が置かれていました。
離島の医師になっても…
僻地の医師になっても…
地域でたった一人の医師になっても…
なんとかできる医師
を目指していたように思います。
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今から考えると…
6年生の臨床実習は充実していました。
産泊もその一つです。
卒業するまでに、
最低3例以上の正常分娩を見ること。
という指導方針があったと記憶しています。
この考えには、
30年後の今も感謝しています。
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もし…
僻地の医師になって、
その地域で
急に産気づいた妊婦さんがいて…
『僕、お産なんて…』
『見たことありません…』
では困ります。
自分では何もできなくても、
助産師さんと協力して、
とにかく子どもを取り上げなくてはなりません。
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お産は毎日ある訳ではないので…
実習期間中に何泊かした記憶があります。
産婦人科のお昼ご飯は、
毎日、手づくりで美味しかったです。
夜食のおにぎりもありました。
実習中の学生は無料でいただきました。
医局で先生と話したことも…
楽しい思い出の一つです。
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私が最初に見学させていただいたのは、
経産婦の方でした。
お産は順調でした。
生命の誕生という
劇的な瞬間に立ち合わせていただき、
感激したことを覚えています。
産科医冥利という日記にも、
産科の素晴らしさが書かれています。
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不覚にも…
2例目のお産で、
私は倒れました。
一緒にいた、
助産婦科の学生さん(女性)が、
助けてくれました。
その産婦さんは経産でした。
特に問題はないとのことでしたが…
悲痛な叫び声を上げました。
その声を聞いて…
具合が悪くなりました。
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赤ちゃんは無事に誕生しました。
翌日、教室で級友から…
『本間、ゆうべ…産泊で倒れたんだって…』
と有名になりました。
倒れた理由
に書いた子どもの司法解剖についで、
2回目でした。
友人の間では、
『本間は血に弱い』
という認識が広まりました。
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こんな経験をできたのも、
古きよき時代の思い出です。
今の大学病院には…
正常分娩の産婦さんが少なく、
札幌医大でも…
卒業までに3例も正常分娩を見学できないようです。
他の大学病院でも、
帝王切開は見学できても、
正常分娩の症例がないため、
多くの医学生が正常分娩も見学せず…
医師免許を取得しているそうです。