昔の記憶

石井清一先生を偲んで

 今日は2021年5月2日(日)です。
 札幌は桜が咲いていますが、
 とても寒いです。
 昨日の石井清一先生ご逝去
 …の続きです。
 ネットで石井先生を検索したところ、
 次の加藤博之先生の文章が見つかりました。
 石井清一先生を偲んで引用させていただきます。
      ■         ■
 師:石井清一先生について
 加藤博之
 進路を決めかねている卒後研修医や医学生から,整形外科を選んだ理由を尋ねられることが多い。その度に恩師石井清一先生を思い出す。その頃,私は北大医学部6年生で,間近に迫った卒業の直後に結婚し,東京に戻りスーパーローテーション研修する予定であった。漠然と内科医になるつもりでいた。
 ところが,かねてより仲人をお願いしていた医学部スキー部長の細菌学教授が国際学会に出席することになり,急遽同スキー部の顧問であられた石井先生に仲人をお願いすることになった。当時,石井先生は北大医学部整形外科助教授で,私達医学部スキー部員に混じってノルディック(距離)スキーを汗水たらして走りこんでおられた。石井先生は快く仲人を引き受けていただけたが,家内と一緒にお酒をご馳走になったある晩に「君は内科医にはむいていない。整形外科が性に合っている。明朝までに連絡が無ければ入局したことにする。」と突然おっしゃられた。翌日の昼に私が眼を覚ました時には私の北大整形外科入局は既に決定していた。
 石井先生は手の外科班のチーフをされていた。私は一般整形の研修終了後の卒後5年目に迷わず手の外科の専門研修を選択した。ほどなく,石井先生より論文を提出するように言われた。今から考えると当然のことであるが,数日後に戻ってきた論文には自分の文章はどこにも見当たらず,訂正の赤字で埋め尽くされていた。論文の構成自体も全く変わっていた。早速,赤字を拾って清書して持っていくと,再び真っ赤になって戻ってきた。パソコンの無い時代である。大変なことになったと家内にぼやきながら,原稿用紙の切り貼りと清書を繰り返していくうちに,稚拙な論文がみるみる生気を放ち見違えるように論理的になった。間もなく石井先生は札幌医大教授に栄転され,直接にご指導をいただいた期間は数力月足らずであった。
 卒後研修ではカリキュラムの優劣が喧伝けんでんされている。確かに手術手技の習得,薬剤の処方,検査値の読み方も大切である。しかし研修で最も肝腎なことは師と巡り合うことと思う。私は幸運であった。石井先生からは,診療に対する謙虚な姿勢はもとより,論文の推敲を通じて科学的な思考方法を教えていただいた。剣道の教えの中に「守・破・離」という心得があると聞く。師の教えを「守」り,師の教えを「破」り,師の教えを「離」れることが,道を極める成長過程を示しているとのことである。既に巡り合った頃の石井先生より年長となった私であるが,「守」の段階にとどまることなく「破」・「離」に達することが不肖の弟子の恩返しと考えている。
(信州大学医学部運動機能学講座教授)

 (以上、信州医誌より引用)

      ■         ■
 加藤博之先生は北大(医)55期、
 1979年ご卒業です。
 北大整形外科から、
 信州大学医学部整形外科教授に就任されました。
 石井先生のことがとてもよく書かれています。
 加藤先生は2019年3月に信州大学を退官されていますが、
 今もお元気でご活躍中です。
      ■         ■
 加藤先生が書かれた、
 研修で最も肝腎なことは師と巡り合うことと思う
 診療に対する謙虚な姿勢はもとより,
 論文の推敲を通じて科学的な思考方法を教えていただいた。

 これが石井清一先生教えです。
 ほんとうにすばらしい先生でした。
 心からご冥福をお祈りしています。

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