昔の記憶
石井清一先生の思い出
今日は2021年5月3日(月)憲法記念日です。
札幌は小雨です。
石井先生のご逝去を悲しんでいるような雨です。
私が札幌医大に採用されたのが1998年、
クビになったのが2002年でした。
嫌なこともありましたが、
楽しい思い出もあります。
■ ■
石井清一先生と仕事ができたことは、
私の貴重な楽しい思い出の一つです。
整形外科の先生と手術をする機会は、
札幌医大ではあまりありませんでした。
私が唯一、石井先生と同じ患者さんを治療したのが、
ロシアから来た熱傷の少年でした。
札幌医大形成外科は、
ロシアから来たコンスタンチンちゃんを、
阿部清秀先生が救命して有名になりました。
■ ■
私が治療を担当させていただいたのは、
ジェーニャ君という少年でした。
私が顔の手術を担当させていただき、
整形外科の石井清一教授が、
手の手術をしてくださいました。
石井先生の手術は見事でした。
ちゃんと手が使えるようになりました。
決して大きくはない声で、
丁寧に説明されるのが印象的でした。
■ ■
石井清一先生のすごいところは、
俺がおれが
…というところがまったくないところです。
世界的に有名な教授なのに、
穏やかでした。
形成外科講師の私の言うことも、
ちゃんと聞いてくださいました。
ほんとうにエライ先生は、
自分が偉いというそぶりをしないことを知りました。
■ ■
もう20年以上も前です。
下の写真は、
ロシアから到着したジェーニャくんを、
形成外科病棟の処置室で治療している私です。
黄色のガーゼはロシアからつけてきたものです。
石井清一先生との手術はこのジェーニャ君だけですが、
今でもよく覚えています。
心からご冥福をお祈りしています。
“石井清一先生の思い出”へのコメント
コメントをどうぞ
本当に偉大な方は
いちいち「俺がおれが…」と
主張しなくても、まわりに自然
と人が集まってくると思います。
お写真を拝見して改めて本間先生は、
すばらしい治療をなさったのだと
思いました。ジェーニャ君も
石井先生と本間先生との良い出会い
に恵まれて、とても感謝なさって
いると思います。
石井清一先生との、
たくさんの素敵な思い出は宝物ですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。石井教授はやや小さめの声でしっかり説明されていました。ロシア語は日本人の通訳の方がついて説明していました。ほんとうにオレがおれがというのがまったくない先生でした。石井清一先生のご逝去を悲しんでいる人がたくさんいます。心からご冥福をお祈りいたします。
コンスタンチンくんは
よく覚えていますが
2度目に運ばれてきた子が
ジェーニャくんだったのかと思います。
石井清一先生と本間先生がタッグを組んで
治療されたのですね。
思い出深いですね。
お写真、余りに痛々しく、
私まで痛くなりました。
私は痛そうなシーンを見ると
自分まで痛くなってしまうのです。
看護師さんにはなれないと思います。
点滴で自分の血が逆流したのを見てただけで
腰が抜けました。
看護師さんは点滴を高く上げてと
言ってくれて直ぐに逆流は、なおりました。
お恥ずかしいです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。有名なロシアの患者さんはコンスタンチン君とセルゲイ君です。私の在職中はジェーニャ君だけでした。ロシアから患者さんが来ても報道されることはありませんでした。写真は新千歳空港まで迎えに行って、救急車で新千歳空港から札幌医大に到着して病棟で処置をしているところです。20年以上前なので若いですね。
石井先生とジェーニャ君を手術して助けたのは貴重な思い出ですね。先生お若いですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。石井清一先生と患者さんの治療をしたのはジェーニャ君だけです。石井教授の診察は丁寧で、通訳を介してしっかりと説明してくださいました。ほんとうにいい先生でした。20年前は若いですね。
先生、そうでした。
セルゲイくんでした。
ありがとうございました。