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お前ならできる_尊富士_新入幕優勝

 今日は2024年3月25日(月)です。
 とってもうれしいYahoo!ニュースです。
 「お前ならできる。記録じゃなくて記憶に残したいんだろ?」一度は休場決めた尊富士の心を変えた照ノ富士の言葉
 ◆大相撲春場所千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪)
 東前頭17枚目・尊富士(たけるふじ、24)=伊勢ケ浜=が、大正時代の1914年5月場所の両国以来、110年ぶりの新入幕優勝の快挙を達成した。西同6枚目・豪ノ山(25)=武隈=を押し倒し。14日目に敗れた一番で右足を負傷。救急搬送されたが、けがを押して出場し、ただ一人の2敗を守った。初土俵から10場所目での制覇は年6場所制となった1958年以降で最速(付け出しを除く)。日本相撲協会によると、大銀杏(おおいちょう)を結えない力士の優勝も初めてだという。三賞を全て受賞するのは2000年九州場所の琴光喜以来だった。
 土俵上で見せたのは、喜びよりも安どの笑顔だった。尊富士は14日目の朝乃山戦で右足首のじん帯を損傷。強行出場した豪ノ山戦は、痛みで鋭い立ち合いはできず。それでも右で張って左を差した。攻め切れず、右上手を切られたが、左下手を離さず再び前へ。最後は気持ちで懸命に押し倒した。笑みについて「覚えてない。何だかわからなかった」。前夜から眠れず、食事もできず。敗れれば、大の里との優勝決定戦の可能性もあったが「もう一番やれと言われても無理」と限界寸前。取組後はテーピングで固めた右足を引きずっていた。
 取組後の支度部屋。ちょんまげ頭は「気力だけで取った。15日間積み重ねたものを台無しにしたくなかった」と疲れ切った表情で話した。110年ぶりの新入幕Vに「記録も大事だけど、記憶に残るような力士になりたかった。皆さんの記憶に残るよう、これからも必死に頑張りたい」と胸を張った。母・石岡桃子さん(47)と対面して抱擁。やっと、喜びに浸った。
 前日の取組後に救急車で搬送された。宿舎に帰っても歩けず。学生時代に左膝を何度も痛めた悪夢が頭をよぎり、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)に「無理です」と伝えた。だが、同じ部屋の横綱・照ノ富士は違った。宿舎で尊富士のもとへわざわざ出向き「お前ならできるぞ」―。そして「記録じゃなくて記憶に残したいんだろ? 明日出たら本当に記憶に残るぞ」と続けた。尊富士は「休場したら一生悔いが残る。この先終わってもいい」と翻意した。深夜、師匠に出場を直訴し、痛み止めを注射。中学から憧れる高校の大先輩に背中を押された。
 記録ずくめの初優勝だ。1914年の両国以来の新入幕V。初土俵から所要10場所での制覇は年6場所制となった1958年以降最速で、大銀杏の結えない力士の優勝も初。鳥取城北高の石浦外喜義総監督(62)は「今まで見てきた中で一番気が強く、痛みにも強かった。すごい男だ」と、まな弟子の偉業をたたえた。
 大の里、伯桜鵬らと違い、学生時代は大きなタイトルがない。184センチ、143キロ。角界入り後に「50メートルは6秒台で走れる」と抜群の瞬発力をもとに速攻の押しを磨いた。初場所では照ノ富士の優勝パレードで旗手も務めた。「新入幕会見では自分もいい景色を見たいと言ったが、こんなに早く実現するとは思わなかった」と笑った。大銀杏を結えるのは早くて7月の名古屋場所の予定。青森生まれの“雑草”が、国技の歴史を塗り替えた。(山田 豊)

支度部屋で万歳三唱する尊富士と母の桃子さん(前列右)(報知新聞社)

優勝を決めた尊富士は笑顔を見せる(カメラ・馬場 秀則)(報知新聞社)
(以上、Yahoo!ニュース、報知新聞社より引用)

      ■         ■
 日本人力士が110年ぶりの新入幕優勝です。
 前日に痛めた右足が痛そうでした。
 それでも、
 「お前ならできる」の一言で見事に優勝。
 ほんとうに素晴らしいことです。
 最後まであきらめないことです。
 これからのご活躍を祈念しています。
 とってもうれしいです。

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