昔の記憶
母親の葬儀⑦
母親の葬儀で喪主になりました。
69歳でも知らないことがたくさんありました。
これから身内の葬儀で喪主になる方へのアドバイスです。
本間賢一個人の感想です。
地域によって違いあることも考えられます。
参考程度に覚えておいてください。
私が実際に一番困ったことです。
■ ■
本間賢一が考えた変わった葬儀は、
結婚式のように食事を出して、
動画を見ながら故人をしのぶお別れ会です。
約20人の参列者で、
私の家族と弟の家族、
いとこと叔母が参列してくれました。
亡くなったバアさんもよろこんでいると(私は)思っています。
■ ■
バアさんの具合が悪くなって、
今年は喪中はがきだなぁ~と思ったのが9月下旬でした。
私は葬儀の相談室に行って、
こんな形で葬儀をしたいと相談しました。
祭壇中央にスクリーンを設置して、
映像に向かってお別れの言葉を述べます。
故人の遺影は左サイドです。
■ ■
お線香の代わりに、
アロマの香りにしました。
私の時にもお線香ではなく、
アロマの香りがいいです。
斎場も決めていました。
困ったのは斎場が決まるのは、
亡くなってからだということです。
■ ■
もっともなことです。
うちは2回も延期になりました。
人間がいつ亡くなるかはわかりません。
私も判断を誤りました。
斎場は互助会に加入している人が、
亡くなった順番で選ぶことができます。
もし1時間でも先に亡くなった人がいて、
1箇所しかない斎場を選ぶと、
その次になります。
■ ■
斎場と場所・時間を決めておかないと、
忌引届も出せません。
私は相談室で選んだ斎場を変えました。
やわらぎ斎場センティア28にしました。
センティア28は大きめの式場が3つ、
小さめの式場が2つで合計5つあります。
式場が1つの斎場より安心です。
近くにはたくさんホテルもあります。
■ ■
これから喪主になる可能性がある方で、
もし斎場だけは決めておきたいのでしたら、
やわらぎ斎場センティア28をおすすめします。
専任のシェフがいらして、
厨房があって美味しい料理がいただけました。
本間賢一のわがままな葬儀を引き受けてくださった、
やわらぎ斎場に感謝しています。
私の葬儀もやわらぎ斎場センティア28にお願いします。
“母親の葬儀⑦”へのコメント
コメントをどうぞ
葬儀についてしっかり考えたことがなく、
何かに加入もしていませんので、
先生が教えてくださることは、
とても勉強になります。
アロマの香りと美味しいお料理で
お別れ会、とても心あたたかな
雰囲気を想像しました。
式場が一つではなく複数あるところ
がいいのですね。
「やわらぎ斎場センティア28」
覚えておきたいと思います。
お母さまの
ご冥福を心からお祈りいたします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。結婚式は式場の予約ができますが、お葬式はできないことが今回とてもよくわかりました。喪主になることは人生でそんなに多くないと思います。互助会に入らなくてもいいと思います。丸井今井にフォーエバーというサービスがあったと記憶しています。やわらぎ斎場のセンティア28は他の斎場より少し高いですが、式場がたくさんあり、都心に近いので私には好都合でした。
私は父親が亡くなった時に
喪主になりました。
喪主の挨拶というのを
いきなり言われて
焦りました。
亡くなる直後の話とお礼だけ述べました。
父は一時期快方に向かってたので
まさか亡くなるとは思わず
なんの計画もしてませんでした。
ただ、生前、母のお葬式と同じにして欲しいと
父から言われてたので
同じ斎場で同じお坊さんに来て頂きしました。
お線香じゃない御葬儀、いいですね。
故人を偲ぶ会、素敵だと思います。
先生、お疲れ様でした。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。米国形成外科学会に参加して発表を聴いていたら、まさかの危篤を知らせるLINEでした。それから半月が大変でした。弟と協力してつきそいをして、何もしませんでしたが、亡くなる前一週間、同じ病室にいたのがよかったです。95歳でも身内が亡くなるのは大変ですね。
私たちのところは斎場とは火葬場だけのことを言い、セレモニーです葬儀をします。部落の人全員に知らせをするので受付が必要になり隣組の人が手伝ってくれます。
お経が聞こえる中映像が流れて故人を偲びます。
式が終わると和尚さん親族、隣組も一緒に盛大ななおらいという会食をします。コロナ禍は別でしたが。
ところ変わればですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。北海道ではお葬式をするところも斎場、火葬場も斎場と呼ぶようです。札幌市の斎場(火葬場)と札幌市のHPに記載があります。隣組の人が受付を手伝ってくださるのはすごいですね。お葬式後の会食は親族だけで、和尚さんが会食にいらしたのは見たことがないです。お経→講和の後は僧侶の方が退場されていました。私の家は祖父の代はキリスト教でしたが、父親はクリスチャンではなく、母親もクリスチャンではないです。母親の実家が日蓮宗でした。コロナの前は偉い先生が亡くなると、百人以上がお参りをすることもありましたが、コロナで葬儀の形式が変わりました。新聞のおくやみ欄も半数以上が葬儀終了のように見えます。各地でいろいろなしきたりがあるのですね。勉強になりました。