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ニトリ寄附講座2

 今日は北海学園大学経営学部ニトリ寄附講座の最終回でした。今日の演者はイオン株式会社、名誉会長の岡田卓也様でした。岡田様は現在81歳、6年前に75歳でイオンの役職を離れられ現在はイオン環境財団岡田分化財団の理事長として社会貢献にご活躍中です。81歳という年齢は全く感じられず実に矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいました。60歳台後半と言ってもいいくらいでした。
 私は、今日までイオンもJUSCOも新しくできた大きなショッピングセンター程度にしか認識していませんでした。イオンは三重県四日市の老舗呉服店、岡田屋が前身で来年で創業250年になるそうです。21歳だった60年前に、敗戦後の焼け野原で5人の従業員と40坪の店を再開されました。お父様が早くに亡くなったため、21歳で社長になり“焦土に開く”というチラシを作ったところ、お客様が開店前に店頭に並び「さすが岡田屋さん、やっと平和が来てお店がチラシをまいてくれた」と喜ばれたと伺いました。
 今週号の週刊東洋経済に「イオン恐るべし」という特集記事が載っていましたので、帰りに購入してきました。現社長の岡田元也さんは息子さんで、民主党副代表の岡田克也さんも息子さんだと知りました。
 今日の講演ではたくさんの事を学びましたが、特に印象に残ったことが2つありました。①岡田家の家訓、『大黒柱に車をつける』。絶えず革新し続けること。絶えず変化しつづけること。三重県四日市の中心市街地に先祖伝来の店があり、そこで40坪の店を再開した。ところが新しい道路ができて人の流れが変わったので、先祖伝来の土地を売って、新しい土地で地上権だけを買った。周囲からはバカなことをするなと言われたが決断は正しかった。その後、近畿日本鉄道の駅が変わり、人の流れが再度変わったため、また移転した。人は常に変化に対応しなくてはいけない。岡田屋という名前も捨てて、JUSCO→イオンと名称も変えた。いつまでも同じ事をしていては存続できない。
 ②企業は地域に貢献し地域から尊敬されなければ存続できない。日本の高度成長期に交通事故で一家の働き手を亡くし、高校へ進学できない子供が増えた。当時は保険制度も充実していなかったので十分な補償ももらえなかった。交通事故の遺児に奨学金を出したのが始まりで、現在は外国の子供への援助、海外からの留学生に対する援助を行っている。三重県以外で愛知県岡崎市にはじめて出店した時、岡崎城に続く道に桜を700本植樹した。利益の一部をNPO法人などに寄附して社会貢献をする。21世紀は南北問題の時代となる。特に問題となるのが環境問題で、『水と緑の時代』になる。イオンはショッピングセンターの出店時に必ず木を植えて育てている。
 イオンと札幌美容形成外科では規模が違いすぎますが、私も地域の役に立つ美容形成外科になろうと考えました。もう一つ考えたのが、小売業にはない『技術の伝承』です。私があと何年現役を続けられるかわかりませんが、私が先輩から教わり、自分が開発した技術を後世に残すのも医師として重要な責務ではないかと考えました。来年は外国雑誌に投稿ができるように頑張ってみようと思いました。

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