院長の休日
成人の日
今日は成人の日です。
私は1954年(昭和29年)生まれです。
私の頃は、札幌市では19歳で成人式の案内状が来ました。
20歳になる年の1月に成人式がありました。
私は浪人中でした。
1月15日が成人式で、札幌予備学院の医進クラスで、その日を迎えました。
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当然、札幌市が主催した、成人式には参加しませんでした。
記念品をいただいた記憶がありますが、何か?覚えていません。
今も昔も、成人式には、晴れ着を着たお嬢さんが、白いショールを巻いて、晴れやかに街を歩いているのが目立ちます。
私は、同世代のキレイな方を、横目で見ながら、最後の追い込みに懸命でした。
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当時は、今のようなセンター試験はありませんでした。
1月は、私立大学の入学試験が始まる頃でした。
2月に、自治医大の一次試験がありました。
国立大学は一期校と二期校に分かれていて、3月上旬と下旬に試験がありました。
北海道では、北大と札幌医大(公立)が一期校。
旭川医大が二期校でした。
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来年も受験勉強はしたくないなぁ…というのが正直なところでした。
私は、現役の時に受かったのが、同志社大学(法)。
一期校。札幌医大→不合格。
二期校。弘前大学(医)→不合格。
11月試験の旭川医大→不合格。
弁護士になりたいという、微かな希望もありましたが、医学部を目指し浪人しました。
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当時から、男性は成人式にはあまり出席しませんでした。
20歳になると、酒・タバコが解禁になるといったところが、‘大人’になった証(アカシ)でした。
私は、昔からタバコは吸いませんでした。
高校の友人と、居酒屋程度は行きましたが、アルコールには弱い方でした。
‘大人’になって、唯一、楽しみだったのが運転免許の取得でした。
運転免許は大学に入学して、すぐに自動車学校に通いました。
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運転免許は取得しましたが、自分の車はありませんでした。
父親がようやく手にした、10万kmも走った中古車を、たまに運転させてもらっていました。
わが家では、はじめての車で、とても立派とは言えませんでしたが、嬉しかったものです。
暇さえあれば、洗車して、ピカピカにワックスをかけていました。
自分で使ったガソリン代は、自分でアルバイトをして、稼いで入れていました。
ちょうど、オイルショックがあって、今と同じくらい、ガソリンが高騰していました。
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私にとって、成人の日は、あまり想い出もなく、写真もありません。
高校時代も、予備校時代も‘彼女’はいませんでした。
その頃の写真を探しましたが、見つかりません。
写真を撮ることもなかったのでしょう。
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昔の写真を探して出てきたのが、下の写真です。
後列の真ん中が私です。
大学時代に、臨床実習で胸部外科を回った時です。
24歳でした。
写っているのは、小松教授と安倍助教授(後の教授)。
7人グループの仲間です。
全員元気ですが、すっかりおじさんになっています。
札幌医大6年生の臨床実習
胸部外科