昔の記憶
帯広への転勤
昨日も書きましたが、
私は平成7年1月1日付けで、
JA帯広厚生病院へ赴任を命じられました。
北大形成外科の人事異動です。
人事異動とは言っても、
前任の市立札幌病院は、
自己都合退職。
『一身上の都合により…退職を…』
という辞表を出して退職しました。
正直なところ…
退職したくはありませんでしたが、
これが、医者社会の掟(おきて)でした。
■ ■
せっかく家も建てて、
子どもたちも、
学校を変わりたくないと言っている。
『お父さん一人で単身赴任してちょうだい!』
と家内と喧嘩になりました。
嫌がる家族を巻き込んで…
正月早々、
夜逃げのような引越しでした。
■ ■
お世話になった
市立札幌病院の婦長さんが、
『先生、帯広は寒いから…』
とカシミアのマフラーを
プレゼントしてくださいました。
マフラーも素敵でしたが、
その心が、嬉しくて、
そのカシミアのマフラーは
今でも大切に使っています。
■ ■
平成6年12月10日土曜日に、
北大形成外科の忘年会を欠席して、
早朝5時に札幌の家を出て、
帯広まで家探しに行きました。
その日は天候が悪く、
途中から猛吹雪になりました。
札幌→帯広の道にも
慣れていませんでした。
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日高の山を越えると、
十勝平野は晴れていました。
十勝地方は氷点下30度近くまで
冷え込むことがある寒い土地です。
太平洋側にあるので
積雪量は日本海側の札幌と比較すると
少ないのが特徴です。
どこまでも続く、
広大な畑が十勝地方の特徴です。
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帯広は、確かに寒いのですが、
冬でも晴れた日が多く、
札幌に比較すると、
お日様が輝いていました。
家族はイヤイヤ付いて来たのですが、
子どもたちはスケートを覚えたり、
夏は釣りをしたり…
夜空には満天の星があり…
帯広での生活を楽しんで暮らしました。
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帯広厚生病院は立派な病院でした。
JA北海道厚生連の中でも、
トップクラスの黒字病院でした。
市立札幌病院では、
買ってもらえなかった…
ドイツ製の手術用顕微鏡も、
ポンと買っていただけました。
仕事は…
‘超’忙しかったのですが、
充実した毎日でした。
40歳から43歳までの、
3年間勤務しました。