昔の記憶
高校進学
私は大夕張の鹿島中学校を、
昭和45年に卒業しました。
当時の夕張市には、
北炭、三菱という炭鉱会社があり、
今よりずっと栄えていました。
私が住んでいた大夕張にも、
中学校が1校、高校が1校ありました。
今は何もありません。
ダムの底に沈むのを待っています。
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中学校は一クラス40人程度で、
A組からG組までの7クラスがありました。
大部分の生徒は、
地元の高校へ進学しましたが、
北海道内の進学校である、
函館ラサール高校(男子校)や
札幌市内の公立高校、
夕張市内でも大学進学率が高い、
夕張北高へ進学する生徒もいました。
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私の鹿島中学の先輩に
Sさんという男子がいました。
とても勉強ができました。
Sさんは、鹿島中学校から、
札幌南高に進学し、
東大文Ⅰに現役合格しました。
私たちの間では、
‘郷土の英雄’でした。
Sさんは、
その後、国家公務員上級試験を通り、
官僚になられたと聞いています。
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私たちの世代は、
一生懸命勉強をして、
‘いい高校’から
‘いい大学’へ進学することが、
‘いい子ども’の条件だったように思います。
親もそれを願って、
経済的に苦しくても、
子どもを札幌や函館の進学校へ出しました。
それが親にとっての
喜びだったようにも思います。
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私が札幌西高校を卒業したのが
昭和48年(1973年)3月でした。
私は現役で札幌医大を落ちました。
大夕張の鹿島中学校から
函館ラサール高校へ行った友人も、
北大を落ちました。
同じく大夕張から札幌北高へ進学した友人も、
北大を落ちました。
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夕張から札幌と函館の進学校へ行った、
私たち3人は
全員第一志望の大学を落ちました。
昭和45年に
鹿島中学校を卒業した生徒のうち、
ただ一人北大に現役合格したのが、
大夕張で地元の夕張東高へ進学した
I君でした。
夕張北高に進学したT君も
小樽商大に現役合格しました。
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夕張から外の高校へ出た3人(私も含めて)が
高校時代に勉強をサボったのではありません。
おそらく夕張に残ったI君やT君が
一生懸命、勉強したのだと思います。
私は自分が卒業した、
札幌西高が好きですし、
札幌に出てきてよかったと思っています。
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私たちの世代のエリートは、
北大法学部や小樽商大という
道内の難関大学を卒業して、
北海道拓殖銀行に入行しました。
‘拓銀に入ったんだってねぇ~’
‘すごいねぇ~’
‘勉強できたからねぇ~’
というコースでした。
ところが、拓銀は経営破たん。
人生なんてわからないものです。
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私は、人間は目標へ向かって
努力している間が、
一番、夢があって充実していると思います。
その時は気づかないけれど…。
私も高校時代に、
ボロ家で…
勉強ができなくて…
成績が上がらなくて…
苦しんでいた時代があって
よかったと思っています。
自分が苦しんだ経験が、
役に立っていると思います。
中学3年の修学旅行
層雲峡にて(中央が私)
下唇が出ていると言われ
気にして下唇を噛んでいます
鹿島中学校があった
夕張市鹿島常盤町
手前はつり橋です