昔の記憶
私が住んだ家
私が子供の頃は、
父親が勤務していた病院の社宅に住んでいました。
生まれてから、小学校2年生までは、
札幌郡手稲町字金山。
小学校3年生から中学校1年生までは、
美唄市茶志内町日東(ビバイシチャシナイチョウニットウ)。
中学校3年間は、
夕張市鹿島(ユウバリシカシマ)、通称大夕張(オオユウバリ)。
高校1年生から、札幌市西区八軒(ハチケン)でした。
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西区八軒の家だけが、父の所有でした。
お金がなかったので、土地は長い間借地でした。
昭和30年代に建てられ、
昭和36年に購入した、中古の建売木造住宅でした。
最初は、父の両親と弟妹が住んでいました。
私が札幌西高校へ入学したため、
父の母親(私の祖母)が住んでいた家に住みました。
当時は、こうして地方から札幌へ出てくる高校生がいました。
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お世辞にも、立派な家とは言えませんでした。
トイレは水洗式ではありません。
私の家は、
七畳くらいの一部屋に、
私と弟と母親が
寝泊りしているような家でした。
壁が汚かったので、
ペンキを買ってきて自分たちで塗りました。
床は父親がフローリングを自分で貼りました。
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高校時代、同級生に、
『今度、本間の家(ホンマンチ)へ行ってもいぃ?』
と言われるのが一番困りました。
見栄を張っていたのではありませんが、
友人に来てもらうような家ではありませんでした。
友人の家は、
西区西野の閑静な住宅地にあり、
新築の立派な家でした。
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私は、あまり贅沢はしません。
着るものも、食べものも。
ただ、家にはこだわりがあります。
これは、高校生の頃に、
ビンボーな家に住んでいたためだと思います。
マンションや不動産の広告は好きなのでよく見ます。
自分ではじめて新築した家は、
張り切りすぎて、住宅ローン地獄になりました。
米国のサブプライムローン問題がよく理解できます。
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自分がコンプレックスを持ったことには、
こだわりができるようです。
私は、高校生の時に、
自分も友だちの家のように…
いつかは新築の立派な家に住みたい。
と考えるようになったのだと思います。
私は土をいじるのが好きですが、
家の壁のクロスなどを補修するのも好きです。
自分が住んでいる家はキレイに大切にしています。