院長の休日
美智子さまと手話
平成26年10月20日、朝日新聞朝刊の記事です。
皇后美智子さまは10月20日、傘寿(さんじゅ)となる80歳の誕生日を迎え、これに先立ち宮内記者会の質問に文書で回答した。来年、戦後70年となることについて「大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います」と述べ、「私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切」とつづった。
■ ■
美智子さま、
80歳のお誕生日おめでとうございます。
「私たち皆が、
絶えず平和を志向し、
国内外を問わず、
争いや苦しみの芽となるものを
摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切」
いいお言葉だと感じました。
安倍首相にもよく考えていただきたいです。
■ ■
私の目にとまったのが、
次の特集記事です。
黒柳徹子さんが書かれています。
■手話、
日本中に広まるきっかけに
女優・黒柳徹子さん
■ ■
何と言っても、美智子さまの偉大な功績は、手話というものを日本に広めてくださったことなんです。あまり知られていない?
1979年、私はアメリカのろうあ者劇団「ナショナル・シアター・オブ・ザ・デフ」を日本に招聘(しょうへい)しました。当時、手話を人前でやるのは恥ずかしいとされていた時代です。でも、ハンディがある人たちの芸術的な素晴らしい演技を見て欲しいと思って、私も出演しました。
その公演に美智子さまが皇太子さま(現天皇陛下)とともにいらしてくださいました。美智子さまは「本当に感激しました」とおっしゃり、楽屋で俳優一人ひとりに声をかけてくださって。その模様が報道されると、手話はすてきだと評判になって、手話教室も各地に作られていきました。美智子さまのおかげです。
ユニセフ親善大使として1984年、タンザニアに行ったときのこと。あちこちに皇太子さまと美智子さまの写真がありました。前年にお二人がいらしたことを知りましたが、その時はタンザニアは食べるものがなくて、子どもが飢えでいっぱい死んでいた。お二人が来てくださったことでみんな感激していました。
障害のある人たちの会でご一緒することもあります。私がすごく感激したのは、前にお会いになった人たちの名前を美智子さまは覚えていらっしゃる。しょっちゅう会っている方じゃないみたいなのに、それぞれの方についてご存じで、「その後どう?」とお聞きになる。ああでなくてはいけないなと思って。私なんて右向いて左を向いたら忘れちゃうぐらいなんですけど(笑)。感動します。
先日は、96歳になる日本画家堀文子さんと、お住まいの御所におうかがいしました。堀先生が草花をお描きになることから、美智子さまは小さなお庭を見せてくださいました。自然の草を、わざわざ生やしているとおっしゃっていたけど、とってもすてきで。美智子さまはユーモアがおありで、三人でずっと笑って話していました。
傘寿をお迎えになった美智子さま。80歳っていうとすごいみたいですけど、どうぞ20歳の女の子が4人いるとお思いになって(笑)、これからもお元気でいらしてくださいませ。(談)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
恥ずかしながら…
手話の歴史が、
1979年からとは知りませんでした。
皇后さまが、
偉大な功績を残されたことも知りませんでした。
お優しい、
美智子さまの笑顔が目に浮かびます。
■ ■
体調を崩されたりなさって、
大変なことも多い80年だったと思います。
「私たち皆が、
絶えず平和を志向し、
国内外を問わず、
争いや苦しみの芽となるものを
摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切」
戦争がない、
平和な世界のために、
これからもご健康で長生きをしていただきたいです。
心に残るいいお言葉をありがとうございました。