医学講座
第46回日本マイクロサージャリー学会(東京)③
20年ぶりの日本マイクロサージャリー学会には感慨深いものがあります。
私は切断指再接着は専門ではありません。
北海道で初めて切断指再接着を受けたのが、
私の中学校の同級生でした。
1974年3月でした。
45年前ですが今でもよく覚えています。
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北海道で最初の成功例は、
1974年、
北海道大学整形外科の薄井正道先生でした。
1974年3月(昭和49年3月)でした。
当時、私は一浪の末に、
札幌医大から合格通知をいただいていました。
ようやく試験勉強から開放され、
毎日、ぼ~っとしていました。
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夕刊の記事だったと思います。
『せっちゃん、指くっついた!』
という見出しで、
写真入りの記事が掲載されました。
何気なく、読んでいると…
その記事に載っていたのは、
私の夕張市立鹿島中学校の同級生でした。
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間違いなく、
鹿島中学3年A組で、
渡辺煕わたなべひろし先生のクラスで、
同級生だった、杉本さんでした。
新聞記事を見た第一印象。
『キレイになったなぁ!』
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私が大夕張で同級生だったのは、
15歳の時でした。
面倒見のよい、明るい子でした。
目がパッチリと大きかった印象があります。
それから4年が経過していました。
私19歳、彼女も19歳です。
同じ班だったこともあり、
中学校ではよく話していました。
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彼女は、南大夕張の木工場で作業中、
誤って指を切断してしまいました。
南大夕張から、北大まで搬送され、
薄井正道先生に手術を受けました。
切断された、
おや指の血管と神経をつないで、
再接着術に成功しました。
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札幌医大に合格したばかりで、
私には何の医学的知識もありませんでした。
新聞に掲載されていた彼女を見て
ただただ驚きました。
笑顔で『先生ありがとう!』と言っているのは
4年前に同じクラスで勉強していた子でした。
すごいなぁ。
痛かっただろうなぁ。
そんな思いが頭をめぐりました。
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お見舞いに行こうかなぁ?
一人では行きにくいなぁ…
シャイな私は、友人に頼んで、
一緒に北大病院まで行ってもらいました。
北大病院の整形外科病棟まで行きました。
病棟の看護婦さんに、
『あのぅ~、指の杉本さんのお見舞いに…』
と言ったところ、
『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
と言われました。
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『あっ、それじゃこれ渡してください。』
…と 持って行った、お菓子を置いて、
シャイな私は逃げるように帰ってきました。
看護婦さんが、
『ちょっと待っててくれればいいのに…』
『きっと残念がるゎ…』
と言われたのを覚えています。
新聞に出ていた杉本さんが、
とてもキレイになっていたので、
私は会うのが恥ずかしかったのです。
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その後、45年が経過しました。
私は杉本さんにお会いしたことがありません。
医師になってから、
薄井先生に、話したことがあります。
先生もよく覚えていらして、
『あぁ、せっちゃんいい子だった。』
『確か、天理市へ行かれてその後診ていない…』
というようなことを話した記憶があります。
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山形大学医学部整形外科にいらした、
故荻野利彦教授は薄井正道先生と同じ北大整形外科の上肢班でした。
山形大学整形外科は、
一度に多数の指の再接着に成功し、
TVや新聞で報道されたこともありました。
荻野先生のおかげで、
私はさくらんぼさんと知り合うことができました。
日本マイクロサージャリー学会で切断指の発表を聞いて、
私の同級生のことを感慨深く思い出していました。