医学講座
防災の日2021
今日は2021年9月1日(水)です。
防災の日です。
2017年の防災の日には、
医療事故について書いていました。
今年はコロナです。
2年前はふつうに生活していたのに、
コロナで大変なことになっています。
■ ■
人類はさまざまな伝染病とたたかってきました。
病気のおかげで医学が進歩しました。
防災の日には、
地震や津波から身を守る、
火事や洪水から身を守る、
大雨や大雪の時に身を守る、
停電で電気が消えた時に身を守る、
水が出なくなった時のために水をたくわえる、
…そんなことを考えてきました。
■ ■
世界中の誰もが、
TOKYO2020が
2021年になるとは思っていませんでした。
北海道で日本ではじめての患者さんが出たのが2020年1月でした。
中国からいらした女性でした。
あっという間に世界中に広がりました。
日本で最初にコロナの治療をしたのが市立札幌病院でした。
■ ■
残念なことに、
一年半が経過してもまだコロナ禍が続いています。
防災の日には、
伝染病から身を守ることも考えましょう。
私はワクチンに期待しています。
3回目を打つのもいいと思います。
別の会社のワクチンを打つ交差接種もいいと思います。
2021年の防災の日は、
家族でコロナにならない方法を考えましょう。
医学講座
丸駒温泉が再生法申請 営業は継続
今日は2021年8月31日(火)です。
8月も今日で終わりです。
今年は猛暑でした。
お天気の神さまは意地悪でした。
マラソンの日は東京並の暑さで、
マラソンが終わってから涼しくなりました。
■ ■
今朝の札幌は半袖だと寒いくらいでした。
風も強く、
自転車通勤にはつらい朝でした。
コロナ禍で大変な日々が続いています。
緊急事態宣言で観光客は激減です。
北海道新聞に、
支笏湖の老舗温泉旅館のことが出ていました。
私は行ったことはありませんが残念です。
■ ■
2021年8月31日、北海道新聞朝刊の記事です。
丸駒温泉が再生法申請 営業は継続
【支笏湖畔】千歳・支笏湖畔で老舗宿「丸駒温泉旅館」などを運営する「丸駒温泉」(千歳)は30日、札幌地裁に民事再生法の適用を申請した。帝国データバンクによると、負債総額は約8億3千万円。中小企業再生ファンド「ルネッサンスエイト投資事業有限責任組合」とスポンサー契約締結で基本合意しており、同ファンドの支援下で営業を継続しながら経営再建を目指す。
同社は1915年(大正4年)創業。丸駒温泉旅館は支笏湖エリアを代表する老舗宿で、湖の水面の高さによって深さが変わる露天風呂やヒメマス(チップ)料理で全国的に知られており、2019年12月期の売上高は6億7500万円を計上した。
しかし、以前から借入金の負担が重かった上、新型コロナウイルスの感染拡大で稼働率が低迷し、2020年12月期の売上高は約4億9200万円に急減し、赤字決算となった。約50人の従業員の雇用は継続される見通し。(佐藤宏光)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私が子供の頃からある温泉です。
昔は支笏湖の湖畔から、
遊覧船で行っていたように思います。
今は支笏湖畔から、
支笏湖を周回する道路を通って行けます。
50人も従業員がいらっしゃるとは知りませんでした。
営業は継続されるとのことなので、
何とかがんばっていただきたいです。
医学講座
ワクチン交差接種
今日は2021年8月30日(月)です。
コロナ禍が続いています。
まさかこんなに長く続いて、
こんなに大変なことになるなんて、
本間予測は完全にはずれました。
申し訳ございません。
私が知っている医学関係者も、
まさかここまで続くとは想定していなかったと思います。
■ ■
学会の開催計画を見るとわかります。
日本美容外科学会が9月30日から
日本形成外科学会基礎学術集会が10月7日から予定されています。
第102回北日本形成外科学会北海道地方会は、
9月4日(土)に予定されていましたが、
急遽延期になりました。
緊急事態宣言のため北海道大学内の施設で、
学会ができなくなったためです。
■ ■
2021年8月30日、北海道新聞朝刊に、
ためになる記事が載っていました。
ワクチン交差接種を検討 2回目は別種類、河野氏「加速化を期待」
河野太郎行政改革担当相は29日のフジテレビ番組で、新型コロナウイルスワクチンの製品を変えて2回接種する「交差接種」の是非を政府内で検討していると明らかにした。「可能かどうか厚生労働省に見解を出してほしいとお願いしている。認められれば接種加速化につながる」と述べた。
検討中の3回目接種は「早ければ医療従事者に10~11月、高齢者は来年1~2月に打ち始めることになる」との見通しを示した。「必要量は確保している」と説明した。
接種証明書に関し、年内にデジタル化を実現できると表明。飲食店や旅行などでの活用を念頭に、政府が業界団体ごとにガイドラインの策定を検討するとした。
米モデルナ製の異物混入では、同社に早急な原因究明を求めたと強調した。同じ製造ラインで作られ使用見合わせ対象だったワクチン接種後の死亡事例について「因果関係は分からない。厚労省の報告を待ちたい」とした。
東京都が始めた若者向けの接種会場で行列ができ混乱したことには「かなり無謀だ。予約制にするなど無駄が起きないようにすべきだ」と苦言を呈した。
河野行革相=3日、内閣府
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私はいい考えだと思います。
目的とするウイルスは同じです。
複数のワクチンを接種することで、
感染をより強く防ぐ可能性があります。
医療従事者の3回目があるなら、
私はよろこんで実験台になります。
ワクチンで副作用が出ても、
文句は言いません。
■ ■
血栓が問題になっている、
アストラゼネカ製ワクチンでも打ってもらいます。
異物が混入したモデルナ製でもいいです。
私は異物とワクチンの有効性は、
関係ないと考えています。
異物が入っていたロットでも、
私なら打ってもらいます。
目で見てわかるなら、
異物を入れなければいいだけです。
コロナで死にたくない人は、
ぜひワクチンを接種してもらってください。
医学講座
心配なこと2021
今日は2021年8月29日(日)です。
札幌でオリンピックのマラソンがありました。
マラソンのために閉鎖されていた大通公園は、
元の状態に復旧工事をしています。
歴史に残るマラソンだったのに、
オリンピックの後で感染拡大が起きています。
後世の人たちが検証しくれると思います。
■ ■
昨日の院長日記、
コロナ受け入れ病院が破綻
…で気になっていることがあります。
札幌美容形成外科に毎年いらしてくださっている、
わき汗ボトックスの患者さん
毎年いらしてくださっていたのに、
今年は受診されていません。
■ ■
私は裁判が終わってから汗が減りました
突然、わきから大量の汗が出ます。
私の両わきに、
止まらない蛇口がついたような汗でした。
今年、受診されなかった患者さん、
汗が出なくなったんならいいんだけど、、、
会社が大変なのかなぁ~
お客さんが減って大変なのかなぁ~
…と心配しています。
早くコロナが死なない病気になってほしいです。
医学講座
全国初コロナ受け入れ病院が破綻
今日は2021年8月28日(土)です。
残念なYahoo!ニュースです。
全国初 新型コロナ軽症・中等症の入院患者を受け入れる地域中核病院が破綻 友愛会(大阪)が民事再生
24時間救急対応の地域中核病院「松本病院」を運営、一般外来が減少し資金繰りがひっ迫していた
医療法人友愛会(社団)(TDB企業コード:586748728、資産の総額241万8400円、大阪府大阪市福島区海老江2-1-36、理事長松本直彦氏、従業員185名)は、8月26日に大阪地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日弁済禁止の保全処分および監督命令を受けた。
申請代理人は坂川雄一弁護士(大阪府大阪市北区西天満4-8-17 宇治電ビルディング11階、はばたき綜合法律事務所、電話06-6363-7800)ほか3名。監督委員には阿多博文弁護士(大阪市中央区高麗橋3-1-14 高麗橋山本ビル5階、弁護士法人興和法律事務所、電話06-4707-6206)が選任されている。
当法人は、1938年(昭和13年)創業、55年(昭和30年)8月に法人改組した大阪市福島区内で「松本病院」を運営する医療法人。内科、外科、脳神経外科、整形外科、循環器内科、心臓内科、形成外科など幅広い診療外来を設置し、本館周辺に複数の病棟を開設。24時間の救急医療にも対応するほか、関係会社を通じて特別養護老人ホームの運営にも乗り出していた。手術室や集中治療室の刷新、MRIなど先進医療機器の導入なども図っていたが、そうした設備投資に伴う借入金が重荷になり資金繰りが悪化。2002年には借入金が整理回収機構へ譲渡される事態となっていたが、2013年に金融取引を正常化させるとともに、2015年10月には新病棟を完成させた。
病床数は一般病棟93床・回復期リハビリテーション病棟49床・地域包括ケア病棟44床・ハイケアユニット13床の計199床にのぼり、さらに院内には検体検査、生理検査、内視鏡検査、X線検査などを行う医療設備を設置。地域の中核病院としての役割を担い、手術執刀件数の増加や手術単価の上昇に加え、90%を超える病床稼働率を確保した2020年3月期は年収入高約27億5300万円を計上し、経常段階で約1億6700万円の利益を確保していた。
しかし、新病棟開設に伴う先行投資負担が重く、取引金融機関からは返済猶予を受けていた。2020年12月には当病院で、病棟看護職員をはじめ入院患者、病棟職員が新型コロナウイルスに感染していることが判明。外来患者数が大きく落ち込むなか、2021年1月からは緊急事態宣言下における新型コロナウイルス患者受け入れ病床不足の解消に向けて大阪府から強い要請を受け、一部の病床を軽症・中等症対応としていたものの、これにより外来患者数は一層落ち込み、さらに人件費など経費負担が増加したことで資金繰りがひっ迫。スポンサー支援を受けて再建を目指すこととなった。
負債は約52億円。
(以上、Yahoo!ニュース、帝国データバンクより引用)
■ ■
とても残念です。
コロナさえなければと思います。
コロナで医療機関の経営は大変です。
私は大阪の松本病院のことは知りません。
HPを見ると、
とてもいい病院に思います。
いい医療を提供していると思います。
同じように経営が悪化している病院はあると思います。
■ ■
ふつうの人にはわからないと思いますが、
病院経営は大変です。
2020年からのコロナ禍で、
不要不急の手術は中止
外来診療も中止
松本病院のように手術室を充実させた病院は、
手術ができなくなると収入は激減します。
■ ■
コロナの患者さんは大変なのに、
病院に入るお金は限られています。
経営悪化は目に見えています。
国公立病院はもともと赤字です。
松本病院のHPに書いてあった歴史です。
沿革
昭和13年6月 松本病院開設(大阪市福島区上福島)
昭和24年3月 松本外科診療所開設(現在地 大阪市福島区海老江)
昭和27年4月 医療法人友愛会開設(現在の松本病院と分院を設立)
昭和44年9月 新病棟完成(現3号館)
昭和52年5月 CCU完成
昭和57年9月 救急治療部新設
平成9年4月 新2号館 完成
平成9年4月 特別養護老人ホームグリーン野田 完成
平成27年11月 新1号館完成
松本病院を存続させていただきたいです。
病院HPにコロナとは関係がないと書かれた謹告が出ていました。
私はコロナ禍がなければ順調だったと思います。
ここの病院はいい病院だと思います。
医学講座
【訂正】子供の感染
今日は2021年8月27日(金)です。
今日から3度目の緊急事態宣言です。
私が心配するのが、
子供の感染拡大です。
首都圏ではもうすぐ新学期です。
学校がはじまると子供たちが感染するリスクが高まります。
■ ■
今朝の北海道新聞朝刊に、
2021年8月22日の院長日記でご紹介した、
子供の新型コロナ感染
…の訂正が掲載されていました。
【訂正】
22日の「子供の感染 各国急増」の記事と表で、インドネシアで「10~18歳が新型コロナウイルス死者の30%を占めた」とあるのは「コロナで死亡した18歳以下のうち、10歳以上が3割」の誤りでした。共同通信の配信記事の誤りによるもので訂正します。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
海外では子供の死亡例が報告されています。
日本でも起こる可能性があります。
子供がコロナで死亡は絶対に避けたいです。
自分の孫だったら、
ワクチンを接種してもらいます。
もちろん最終的には本人と親の判断です。
■ ■
2020年に北海道で子供の感染がありました。
幸いなことに重症化しないで回復しました。
子供の治療は大人以上に大変です。
採血をするのも、
大人以上に大変です。
小児科専門医で、
人工呼吸器やエクモが得意な先生は、
そんなに多いとは思えません。
何とか子供への感染拡大を阻止したいです。
医学講座
北海道に3回目の緊急事態宣言
今日は2021年8月26日(木)です。
新型コロナの感染拡大のため、
北海道に3回目の緊急事態宣言が出ます。
私も想定外でした。
9月末には日本美容外科学会が、
10月には日本形成外科学会基礎学術集会があります。
困ったことです。
■ ■
2021年8月26日、北海道新聞朝刊の記事です。
道内に緊急事態 飲食店、規制効果に疑問 宣言3度目「抑止は無理」
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、道内へ3回目となる緊急事態宣言発令が決まった25日、休業を強いられる飲食店関係者から政府の対応を疑問視する声が強まった。昨春から繰り返されてきた宣言発令と解除。規制は強まる一方、感染状況は抜本的には改善してこなかった。「宣言で感染抑止はもう無理」「どう商売を続けろというのか」。諦めと怒りが渦巻いた。
「いまさら休業要請を出したところで、どれだけ感染防止に効果があるのか」。札幌市北区で「居酒屋ふる里」を営む西森栄治さん(60)は肩を落とした。
札幌市内の飲食店に対して、道はまん延防止等重点措置が適用された2日から酒類提供の終日停止と午後8時までの営業時間短縮を要請中。店は2日からすでに臨時休業中で、西森さんは「行政に従って店の感染対策はやっている。それでも営業できないのは納得いかない」と憤った。
札幌市内では時短要請に応じず営業する店も目立つ。道は24日、居酒屋など76店に営業時間の変更を命令したばかりだ。対策強化の一方、感染の拡大傾向は続いており、休業中の札幌・ススキノの居酒屋「北海道海鮮にほんいち」の原田一利社長(54)は「飲食業界への対策で感染拡大を抑え込めないのは明らかだ」と不満を漏らした。
旭川市では25日、新規感染者が過去最多を更新する83人に達した。繁華街3・6街のスナックなどでつくる旭川観光社交組合の奈良岡晴美組合長(68)は「宣言が出ては解除の繰り返し。対応が中途半端だ」と諦め顔。同市内の会社員木田順平さん(31)は「感染が身近に迫っているのは確か。宣言より宿泊療養施設の充実などを優先してほしい」と訴えた。
小樽市の繁華街・花園地区で料理店を経営する浅田修久さん(49)は時短要請から休業要請に変わる27日からテークアウトのみの営業にする。「コロナが長引けば花園で閉店する店が出かねない。活気が失われてしまう」と心配する。
休業要請の対象地域から外れる函館市でも先行きを不安視する声が上がる。同市内のバー経営舘山康宣さん(43)は「時短営業では客が見込めず、支援金も少ない。少しでも高い支援金がもらえる休業要請の対象にしてもらった方がまだ良い」とため息をついた。
北海道科学大の秋原志穂教授(感染症看護学)は「札幌市内の増加スピードはやや落ちてきたが、道内全体では感染拡大に歯止めがかかっておらず、もう少し早く8月上旬に宣言が出ていれば状況は違っていただろう」と指摘する。
道内に重点措置が適用された今月2日以降も日別の感染者数は3桁で推移しており、25日も568人に上った。秋原教授は「人出が増えればどうしても人の気持ちは緩む。宣言で一人一人の行動が変わり、外出を自主的に控えることに期待したい」と話す。(山口真理絵、池野上遥、鈴木孝典)
道内への緊急事態宣言発令決定を伝えるニュースが流れるさっぽろ地下街の大型モニター=25日午後7時、札幌市中央区(阿部裕貴撮影)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
飲食業も、
飲食業にお酒を売るお店も、
飲食業と取引がある業界も、
航空業界も、
ホテル業界も心配です。
ワクチンの他に、
早く特効薬が出てほしいです。
医学史では一つの薬の発明で、
世界が変わっていたことが何度もあります。
医学講座
ZOOMで医薬品メーカーと面談
今日は2021年8月25日(水)です。
札幌美容形成外科は休診日です。
今日は製薬メーカーの医薬品情報担当者さんと、
ZOOMで面談をしました。
私は自宅から、
メーカーの担当者の方は、
札幌の事務所です。
■ ■
便利な世の中になったもんだなぁ~
…というのが正直な感想です。
医薬品によっては、
メーカーの担当者から情報提供を受けて、
オンラインでEラーニングをしないと、
薬を販売してもらえない製品があります。
難しい時代になったなぁ~
…と思います。
■ ■
クリニックに来ていただいても、
私の仕事が終わってからでは遅くなります。
休診日に出かけていくのも大変です。
ZOOMで説明を受けて、
PCでEラーニングを受けて終了でした。
昔はMRさんに学会のスライドを作っていただいたり、
大学の医局で薬の説明会があり、
美味しいお弁当をいただきました。
時代は変わったものです。
昔の記憶
父親から聞いた戦争の話し
今日は2021年8月24日(火)です。
昨日の院長日記、
堂徳房子先生(93)大夕張の小学校で代用教員で、
父親から聞いた戦争の話しを思い出しました。
母親からは戦争の話しは聞いた覚えがありません。
今度、機会があれば聞いてみます。
■ ■
私の父親、本間寛ほんまゆたかは、
2016年3月29日(火)に90歳で亡くなりました。
5年前だったんだと思い出しました。
父親は小学校の頃から成績がよくなく、
優等生だった姉とくらべられて、
劣等感にあふれていたそうです。
■ ■
優等生の同級生は、
札幌一中さっぽろいっちゅう、現在の札幌南高校、
札幌二中さっぽろにちゅう、現在の札幌西高校、
…という中学校(現在の高校)に進学したそうです。
あまりできがよくなかったゆたか少年は、
札幌工業高校の木材工芸科に進学しました。
父親が卒業の時に製作した家具が、
私が子供の頃に家にありました。
■ ■
父親は1926年(大正15年)生まれです。
徴兵制度ちょうへいせいどがあり、
赤紙が来て戦争に行かされた世代です。
戦争に行きたくなかったゆたか少年は、
徴兵免除ちょうへいめんじょという制度を利用して、
戦争で死なない方法を選びました。
さすが本間家の人たちです。
■ ■
徴兵免除になるには、
医学部や薬学部に進学する方法がありました。
優秀だった父親の同級生には、
北大医学部に進学した人もいました。
医学部は無理だった父親は、
仙台の東北薬学専門学校に進学しました。
札幌工業高校から薬学専門学校に進学した人は、
父親以外にはいなかったようです。
父の姉が薬剤師だったことも影響したかも?です。
■ ■
私の父親は5人姉弟の2番目です。
姉(他界):薬剤師
父(他界):薬剤師
妹(他界):養護教諭
弟:医師
妹:音楽教師
一番下の妹以外は医療関係です。
■ ■
裕福な家庭ではなかったのに、
私の父親が薬剤師になったのは、
戦争があったからだと思っています。
もし徴兵制度がなければ、
ゆたか少年は家具職人になっていました。
仙台の薬学専門学校時代には、
空襲にあって山に避難したことも聞きました。
本間家と戦争の歴史の一部です。
私は戦争は大嫌いです。
医学講座
堂徳房子先生(93)大夕張の小学校で代用教員
今日は2021年8月23日(月)です。
今朝の北海道新聞に、
とてもいい記事が載っていました。
<人生100年時代 戦争を語り継ぐ>11大夕張の小学校で代用教員を務めた 堂徳房子さん(93) 朝鮮人差別、何もできず
旧夕張高等女学校(現夕張高校の前身の一つ)を卒業したばかりの1944年(昭和19年)4月1日、16歳の私は代用教員として、大夕張地区の旧鹿島国民学校(戦後は鹿島小学校。1998年に閉校)に就職しました。当時は、男性教員の多くが戦地へ召集されたため、その穴埋めに女学校を卒業して間もない私も駆り出されたのです。
同様に三菱大夕張炭鉱で働いていた日本人男性が出征し、労働力不足を補うため朝鮮半島から多くの労働者が動員され、家族持ちも少なくなかった。私の学校には、親が炭鉱で働く朝鮮人の子どもたちも通学していました。
■朴ちゃん級長に
当時、この学校は1学年5学級、児童数約1800人。私が受け持ったのは1年生約30人でした。クラスの人数が少なかったのは新任だったからでしょうか。この中に、朝鮮人の子どもは3人いました。日本語がわからず、授業はおろか、日常会話も難しく、なんとか手ぶり身ぶりで意思疎通を図りました。
3人のうち1人は、私と同い年の16歳の男の子、「朴(ボク)ちゃん」でした。言葉の壁があるため、1年生に編入したのです。勤勉で、面倒見の良い優しい心の持ち主でした。私は一日も早く日本語を理解してもらいたいと、放課後に時間を見つけては、読み書きを補講しました。少しずつ日本語を話すようになると、私は2学期から彼を級長に任命し、彼ははりきって級友の面倒を見てくれました。
召集されずに残っていた男性教員たちの中には、朝鮮人の子どもたちを殴ったり蹴ったり、水の入ったバケツを持たせ廊下に長時間立たせたりする人もいました。「日本人の方が偉いんだ」と朝鮮人を下に見ていたのですね。
私はそれを、見て見ぬふりをしました。助けたかったのですが何もできなかった。せめて、自分のクラスの子どもたちだけは、大事にしようと思っていました。16歳の若さで、仕方がなかったと思う反面、無力だった自分が今も情けないです。
■親の怒りが爆発
終戦から4、5日たったある日、夏休み中で2学期の準備をしていたところ、校長から女性教員は防空壕(ごう)に避難するようにと指示がありました。朝鮮人の児童の父親10人ほどがスコップを手に学校に来て、「先生を出せ」「うちの子を殴っただろう」と怒鳴る声が聞こえました。自分の子どもが受けた仕打ちへの怒りが爆発したのでしょう。
しばらくたって、朝鮮人の住む集落から人の姿が見えないとの話を聞き、急いで大夕張駅へ向かうと、「マンセー(万歳)、マンセー」と小旗を振りながら列車に乗り込む大勢の朝鮮人たちがいました。その中には朴ちゃんもいて、私に気付くと、笑顔を見せて丁寧に頭を下げてくれました。彼とはそれきりです。今も時々、どうしているかな、と思い出します。
私はその後、教員資格を得て57歳まで小学校教諭を続けました。「お国のため」と思って教えてきたことが間違いだったと気付き、悩んだ時期もありましたが、教え子たちには戦争は二度と繰り返してはいけないと伝えてきました。子どもたちの明るい未来のため、平和が続くことを祈っています。(聞き手・有田麻子)
=おわり=
<略歴>堂徳房子どうとく・ふさこ 夕張市生まれ。終戦後は夕張第一小学校に勤め、26歳で結婚。長男を出産後も夕張や札幌の小学校で57歳まで教えた。退職後は豊平区役所でいじめや家庭内暴力の相談役を8年務めた。2008年に夫を亡くし、現在は長男夫婦、孫との4人暮らし。
「わら人形を竹の棒で『エイ』と突く訓練を、体育の授業でしたこともあります。当時はただただ、『お国のため』と真剣な気持ちで教えていました」と話す堂徳房子さん
(浜本道夫撮影)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私の弟が鹿島小学校でした。
大きな小学校でグランドの近くに、
サルビアがきれいな教会もありました。
堂徳房子先生を見て驚きました。
93歳、昭和2年生まれ。
私の母親より1学年上です。
16歳で小学校1年生の担任の先生です。
■ ■
同じ教室にいた、
同じ年齢の
朴ボクちゃんは、
お元気でしたら93歳のはずです。
私が住んでいた大夕張の社宅のすぐ近くに、
夕張市立鹿島小学校がありました。
こんな歴史があったことを知りませんでした。
いい記事を書いてくださった北海道新聞社の有田麻子記者と、
素敵な写真を撮ってくださった浜本道夫カメラマンに感謝いたします。