院長の休日
さくらんぼさんとお会いした時のこと
今日は2023年7月11日(火)です。
札幌も暑いです。
本州の猛暑にくらべると過ごしやすいです。
今日の最高気温は30℃、
山形の最高気温は32℃、
前橋の最高気温は36℃です。
北海道の夏はまだ過ごしやすいです。
■ ■
さくらんぼさんにお会いしたのが、
2011年7月20日でした。
明るく元気な方でした。
お仲間もとてもよい方たちばかりでした。
すっかり山形のファンになりました。
さくらんぼさんは、
背骨の病気をなさったのにお元気で、
年齢より若く見えました。
■ ■
旭川ナンバーのジャンボタクシーが、
山形の6人のお客様を案内してくださいました。
人の良さそうな運転手さんでした。
はじめまして、、、
なのに初対面とは思えませんでした。
お天気にも恵まれ、
美瑛や富良野を楽しまれました。
■ ■
12年前はうちのばあさんもじいさんも元気でした。
ラベンダーを乾燥させて、
ドライフラワーにしてくれました。
その自家製ドライフラワーをお持ちしました。
12年はあっという間でした。
私は7ヵ月前に目を治していただいてました。
ですからさくらんぼさんをお会いした時には、
かなり若返ってました。
目を治しただけでかなり印象が変わりました。
今から考えると私だけずるいですね。

56歳_手術前夜

手術6日後
院長の休日
初夏の北海道へようこそ2023
今日は2023年7月10日(月)です。
私がさくらんぼさんにお会いしたのは一度だけです。
さくらんぼさんにお会いしました、
2011年7月20日に新千歳空港でお会いしました。
お友だちとごいっしょに、
北海道旅行にいらしてくださいました。
実際にお会いしたのは一度だけですが、
コメントをいただき毎日お会いしているような感じです。
■ ■
さくらんぼさんがいらしてくださるので、
2011年に北海道観光のことを書きました。
初夏の北海道へようこそ①
初夏の北海道へようこそ②
初夏の北海道へようこそ③
初夏の北海道へようこそ④
初夏の北海道へようこそ⑤
初夏の北海道へようこそ⑥
初夏の北海道へようこそ⑦
初夏の北海道へようこそ⑧
初夏の北海道へようこそ⑨
初夏の北海道へようこそ⑩
①~⑩までありました。
■ ■
一番最初の初夏の北海道へようこそ①に書きました。
北海道の玄関は、
新千歳空港です。
さわやかな空気が皆様をお迎えします。
夏は新千歳空港に着いて飛行機を降りた時に、
本州とは違う空気がお出迎えします。
さわやかな空気です。
■ ■
北海道にしかない美しい風景と、
美味しい食べ物があります。
私のおすすめは、
レンタカーです。
交通事故と野生動物に気をつけて、
雄大な北海道をレンタカーで回っていただきたいです。
さくらんぼさんご夫妻にも、
ぜひいらしていただきたいです。
さわやかな空気がみなさまをお待ちしています。
医学講座
新千歳、中国本土便が再開
今日は2023年7月9日(日)です。
札幌も暑いです。
昨日の札幌の最高気温は31.4℃でした。
今日も31.4℃、北見では35℃でした。
一年で一番暑い時期になりました。
今日の北海道新聞に、
中国から新千歳に定期便が再開されたことが出ていました。
一人でも多くの中国のお客さんに来ていただきたいです。
■ ■
2023年7月9日、北海道新聞朝刊の記事です。
新千歳、中国本土便が再開 3年4カ月ぶり 春秋航空が上海線
【千歳】新型コロナウイルス感染拡大の影響で新千歳空港への国際旅客定期便を休止していた中国の格安航空会社(LCC)、春秋航空は8日、上海線の運航を再開させた。初便は同日昼過ぎに133人を乗せて新千歳に到着。国際線到着口では空港関係者が記念品を渡して歓迎した。同空港と中国本土を結ぶ路線の再開は3年4カ月ぶり。
コロナ感染拡大前の2019年、新千歳空港と中国本土との間は年間4574便が運航し、国際線全体の2割を占めていたが、2020年3月上旬までに全路線が運休。春秋航空は2020年2月から休止していた。
運航はエアバスA320(180席)を使用し、週2往復を計画している。初便を利用し、上海から初めて北海道を訪れたという会社員肖音さん(35)は「富良野の花畑を見るのが一番の楽しみ」と話した。春秋航空企画部の李剣本部長は「中国国内ではビザを取得する人も増えており、上海―新千歳線の需要は今後高まる」と話している。(工藤さえら、田中華蓮)


(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
上海からいらした、
肖音さん(35)が『富良野の花畑を見るのが一番の楽しみ』
…と言われたのがうれしいです。
ほんとうに世界中で一番きれいだと思います。
北海道も暑いですが、
夜は涼しいです。
食べ物もおいしいです。
私が上海の学会に行った時は、
新千歳空港からの直行便はありませんでした。
中国からのお客さんがたくさんいらしてほしいです。
医学講座
日中国交正常化の思い出
今日は2023年7月8日(土)です。
昨日の院長日記、
日中の往来、停滞が長期化の続きです。
日本と中国の日中国交正常化は、
私が高校3年生の、
1972年9月25日に田中角栄首相が、
内閣総理大臣として北京を訪問して実現しました。
■ ■
私は田中角栄首相が好きです。
コンピューター付きブルドーザーとか
よっしゃよっしゃとか
小学校しか出ていない総理大臣とか
田中のカナ振り英語とか
いろいろ言われた内閣総理大臣でした。
■ ■
ロッキード事件で逮捕され、
晩年は病気になられました。
小学校しか出ていないのに、
苦学して内閣総理大臣にまでなって…
田中角栄さんの時代に、
日本はよくなったと思います。
いろいろな批判はありますが、
私は今でも田中角栄さんが好きです。
■ ■
私が北大形成外科に在籍していた時には、
中国からの留学生がいらっしゃいました。
日本語を上手に話し英語も上手でした。
私がはじめて海外の学会で発表したのは、
香港でした。
上海の学会にも行きました。
私は中国も台湾も好きです。
いろいろ大変なことがありますが、
日中友好が元のようになることを願っています。
医学講座
日中の往来、停滞が長期化
今日は2023年7月7日(金)です。
七夕です。
北海道では8月7日に行うところが多いです。
本州では笹の葉サラサラで笹を使いますが、
北海道には大きな笹がないので、
多くの地域では柳の枝を使います。
うちの奥さんは変だと言います。
笹がないので先人が考えたのだと思います。
■ ■
2023年7月7日(金)、北海道新聞朝刊の記事です。
日中の往来、停滞が長期化 日本人はビザ取得に数週間 中国人は団体旅行不可
【北京古田夏也】日中間の人的往来の停滞が長期化している。今年1月のゼロコロナ政策終了後も中国側の渡航規制が緩和されていないためで、日本人向け査証(ビザ)の取得に数週間かかることがあり、中国から日本への団体旅行も解禁されていない。日本の経済関係者は中国側に改善を求めているが、両国間の政治情勢も絡み、完全回復には時間がかかりそうだ。
「今は気軽に中国への出張はできないよ」。3日に約70人で北京を訪れた日本国際貿易促進協会(国貿促)のメンバーの50代男性は、そう言ってため息をついた。6月にビザの申請をした際、取得まで2週間以上かかったという。
中国は、観光や出張を目的に15日以内の短期滞在をする日本人向けのビザを免除していたが、新型コロナウイルス流行後の2020年3月から停止。ゼロコロナ政策終了後も復活させていない。日本外務省関係者によると、中国政府の意向でビザの申請数を絞っているとみられ、訪中を計画しても予定通り進まない事例が後を絶たないという。
背景には不安定な日中関係がある。中国の王文濤商務相は4日に国貿促のメンバーと会談した際、ビザ免除措置の復活について「日本側にも(短期訪日の中国人に対する)ビザの免除を提案している」とし、同様の規制緩和が必要との認識を示した。中国外務省の呉璽領事局長も6月21日の記者会見で、「(ビザ免除措置の復活は)相互主義の原則に基づいて進めたい」と強調。北京の外交筋はこの問題に関し、「中国は政治カードの一つと考えている」とみる。
一方、中国人が日本を訪れるのもハードルが高く、個人旅行客については収入要件などを満たした人に限られる。中国政府は2月以降、タイやインドネシアなど親交の深い約60カ国の団体旅行商品の販売を認めたが、政治的に距離を置く米国や韓国、日本などはまだ対象外になっている。日本政府観光局(JNTO)によると、1~5月に訪日した中国人は38万6100人(推計値)と、2019年の同時期の1割程度にとどまるという。
8日からは中国の格安航空会社・春秋航空が上海―新千歳線、11日からは中国国際航空が北京―新千歳線を復活させる。ともに週に2便(火曜と土曜)で、約3年ぶりの運航再開となるが、当面の利用者は個人旅行客に限られそうだ。北京の旅行会社は、「中国でも北海道の人気は健在なのに、一般人が思うように観光できない状態が続いている」と話す。


(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
ファーム富田に行った時も、
中国語は聞こえませんでした。
中国からのお客さんは少ないです。
私たちが毎日使っている製品の多くがmade in chinaです。
iPhoneも中国で製造されています。
北大形成外科には中国から留学生がいらっしゃいました。
優秀な先生で上海で形成外科教授をなさっています。
私は日中友好がいいと思います。
考え方の違いもあると思いますが、
話し合いで仲良くしてほしいです。
院長の休日
ファーム富田のカレンダー
今日は2023年7月6日(木)です。
今年もファーム富田に行けました。
毎年、来年も来たいなぁ~と思って帰ってきます。
私はファーム富田さんに感謝しています。
ラベンダーを育てるのは大変なことです。
とても多くの人の手が必要です。
それなのに、
入園料無料、
駐車場も無料です。
すごいことです。
■ ■
トイレも無料で水洗トイレです。
よく掃除もされていて、
きれいなトイレです。
その上、ラベンダーの香りがするせっけんまであります。
手を洗うと、
ラベンダーのいい香りが残ります。
ありがたいことです。
■ ■
せめてもの御礼に、
毎年院内で使うカレンダーを買って帰ります。
たくさんの観光客が訪れてくれるのは、
金もうけの『か』の字もないからです。
昔の富良野はスキーが有名でした。
今は夏のラベンダーです。
富田忠雄さんの偉業に感謝しています。
一度だけお話しさせていただいたことがありました。
■ ■
私は、天皇皇后両陛下がファーム富田にいらした時、
富田忠雄さんが、
とても嬉しそうにご案内されていたのを、
今でもよく覚えています。
上皇様ご夫妻には、
もう一度ファーム富田にいらしていただきたいです。
とても楽しそうにしていらっしゃいました。
ファーム富田のカレンダーは、
オンラインショップでも販売しています。

院長の休日
富良野のラベンダー2023
今日は2023年7月5日(水)です。
朝5:00に起きて、
中富良野のファーム富田に行ってきました。
観光客も観光バスも昨年より増えていました。
関西からいらしたと思われるご夫妻がいらっしゃいました。
奥様の言葉でわかりました。
外国語も少し聞こえました。
■ ■
ころな前の人数には戻っていませんが、
コロナが5類になって観光客が増えていました。
販売中止になっていた、
小さなカレンダーも売ってました。
札幌美容形成外科で使う2024年のカレンダーを購入してきました。
写真を撮っている場所は例年と同じです、
逆光で顔が暗くなったので向きを変えました。
来年も元気でファーム富田に行きたいです。


医学講座
高校生の陥没乳頭手術2023
今日は2023年7月4日(火)です。
先日、陥没乳首の女子高生へへ、
高校一年生からコメントをいただきました。
札幌美容形成外科で手術を受ける方に伺うと、
中学生や高校生の頃から、
自分の乳首が何か変?と思っている方が大部分です。
実際に中学生や高校生も受診されています。
■ ■
ある患者さんはお母さんといらして、
『この子はずっと乳首がないんです』と言われました。
乳首の位置に黒い点があって、
その下に乳頭がありました。
軟膏で処置をして、
黒い点を除去して、
乳頭吸引器を使いました。
■ ■
通院で経過をみていますが、
少しずつ乳頭が出てきました。
大部分の患者さんは、
どこに相談したらいいのかわからず、
困っているのが実情のようです。
保健体育で教えてくれたらいいのに、、、
…と思いますが学校の先生もわからないと思います。
■ ■
以前は高校生の陥没乳頭手術はしていませんでしたが、
今は高校生でも陥没乳頭手術をしています。
18歳になれば法律上も結婚できる年齢です。
乳房や乳頭の大きさにもよりますが、
手術をしなければ治らない陥没乳頭は、
【授乳障害】がある陥没乳頭として、
健康保険で手術が受けられます。
自治体によっては、
高校生の医療費が免除になるところもあります。
ひとり親家庭でも高校生までは医療費の補助がある場合があります。
陥没乳首で悩む高校生は形成外科で診察を受けてください。



手術前

手術後3ヵ月
医学講座
美唄びばいへの思い
今日は2023年7月3日(月)です。
昨日の院長日記、
北海道せき損センター美唄市外に移転案で、
私が小学校2年生の終わりから、
中学校1年生の5月まで過ごした、
美唄びばいのことを考えてみました。
今でも私は美唄市が好きです。
■ ■
札幌から美唄に引っ越したのは小学校2年生でした。
最初は札幌に帰りたいと思っていましたが、
美唄が好きになりました。
美唄市は、明治の北海道開拓の時代から、
屯田兵が入植し開拓をした町です。
美唄は、アイヌ語のカラス貝の多いところという意味の
ピパオイに由来します。
北海道にはアイヌ語由来の地名が多いです。
■ ■
子供だった私は、
仲良しだった荒木田和生あらきだかずお君と、
よく小川で魚を釣ったり、
網ですくったり、
近くの山へ行って、
春は福寿草、
秋にはきのこを採りました。
楽しい少年時代の思い出です。
私が山や自然が好きなのは、
この頃の体験のためかもしれません。
■ ■
私が小学生だった約60年前には、
美唄びばいは炭鉱の街でした。
残念なことに炭鉱が閉山して、
人口は減りました。
ニトリさんも美唄店はありません。
空知管内には岩見沢店と滝川店があるだけです。
人口約2万人の美唄市には、
いいところがたくさんあります。
■ ■
美唄やきとり_福よしのやきとりはとても美味しいです。
美唄聖華高校からは、
たくさんの優秀な看護師さんが育っています。
美唄ファンの私は、
北海道せき損センターは美唄市外に移転すると考えて、
美唄市立病院を効率的に運用するのがいいと思います。
残念ですが、
美唄市外に移転するのは確実だと思います。

中学1年生の私です(向かって右)
向かって左は、荒木田和生くんです

茶志内炭山郵便局ちゃしないたんざんゆうびんきょく
医学講座
北海道せき損センター美唄市外に移転案
今日は2023年7月2日(日)です。
今日の北海道新聞朝刊に美唄労災病院のことが出ていました。
今は北海道せき損センターになっています。
私は42年前に結婚する直前、
1981年4月から6月まで、
3ヵ月間美唄労災病院に勤務しました。
当時の院長は若松不二夫先生でした。
■ ■
私が小学校2年生の終わりから、
中学校1年生の5月まで住んでいたのが、
美唄市茶志内びばいしちゃしないです。
美唄労災病院はとても立派な病院でした。
労災病院の前に和田公園という公園があり、
夏はボート、釣り堀。
冬はスケートを楽しめました。
両親と行ったのを覚えています。
■ ■
医師になって2年目で、
まだ何もできない26歳の本間先生は、
自分が小さい頃に見ていた立派な美唄労災病院で働いて感慨深いものがありました。
私の上司は2期上の小椋哲実先生でした。
炭鉱が栄えていた頃はたくさんの患者さんがいましたが、
私が勤務した1981年は炭鉱は閉山していました。
美唄市の人口も減っていました。
それでも美唄労災病院は立派な信頼できる病院でした。
■ ■
2023年7月2日、北海道新聞朝刊の記事です。
美唄、拠点病院移転案に困惑 せき損センター市外視野に検討 市立病院縮小の矢先
【美唄】脊髄損傷患者の受け入れと同時に美唄市内の拠点病院の役割も果たしてきた医療機関「北海道せき損センター」が市外移転を視野に建て替えを検討していることが5月に明らかとなり、地域に動揺が広がっている。共に住民の健康を守ってきた市立美唄病院は年度内の完成に向け既に建て替え工事が始まったが、規模や機能はせき損センター存続を前提に縮小する方針だ。降って湧いた形で表面化した移転問題は、地域医療をどう維持するかという重い課題を地元に投げかけている。
■情報共有されず
せき損センターは炭鉱が盛んだった1955年、坑内で負傷した人などを診る労災病院として設立されたのがルーツ。現在は独立行政法人労働者健康安全機構(川崎市)が全国2カ所で運営する脊髄損傷治療の専門施設の一つだ。
交通事故や転落などによる脊髄損傷に対応する整形外科のほか、内科、皮膚科など8診療科があり、常勤医は15人。市民にとっては身近な医療機関でもある。市内の無職渡辺一夫さん(75)は「センターの存在は生活に安心感を生んでいる」。50代女性は「普通のけがでも駆け込むことがあった。『センターの先生に診てもらえれば大丈夫』という意識がある」と話す。
開設から70年近くがたつセンターは老朽化した施設の更新が課題だ。建て替えの話が持ち上がったのは10年ほど前とされるが、市側と詳しい情報は共有されなかったとみられる。市外移転を視野に入れていることが5月、報道で明らかになると地域に衝撃が広がった。
機構関係者によると、現在地での建て替えは①豪雪地帯であり降雪時の患者搬送に難がある ②重い合併症を発症した場合に集中治療が可能となる医療機関が遠い―ことがネックという。
加えて機構側には、再生医療など高度医療推進のため大学病院の近くが望ましいとの声もある。地元関係者の間では「北大や札幌医科大など再生医療に知見を持つ大学病院がある札幌市が有力」との見方が強い。
■市長選の論点に
4月に新市立病院の建設を始めた市には寝耳に水だった。病床数は人口減も踏まえ、現在の98床から約2割少ない75床とし、さらに15年後には60床に縮小する計画。市内最大の157床を有するせき損センターの存在を前提にしており、磁気共鳴画像装置(MRI)も同センターにあることから設置しない方向だ。
市関係者は「今になって移転問題が出てくるとは」と困惑する。市医師会の井門明会長(63)は「せき損センターの医師は救急医療を担っており、地域の救急医療が成り立たなくなる可能性がある」と懸念する。
6月の市長選でも論点となり、立候補した2人は共に引き留めに動く姿勢を示した。初当選し今月3日に市長に就く桜井恒氏(39)は取材に「残ってもらわなければ困る」との認識を強調。一方で「市外移転も想定しないといけない」と、せき損センターがなくなっても地域医療を維持する方策を併せて探る考えだ。
美唄市は南空知、中空知の中核的な病院がある岩見沢市と砂川市から約20キロ離れた中間地点。地域医療に詳しい城西大の伊関友伸教授(61)は「救急医療は岩見沢や砂川で行い、高齢者の療養や日常診療は地元が担うなど、地域や医療機関同士の役割分担と連携がさらに求められる」と話す。せき損センター移転問題は、持続可能な医療提供体制をどうつくるかの視点も交え、幅広い関係者で議論する必要がありそうだ。(三浦高志)
<ことば>北海道せき損センター 炭鉱の落盤事故で多発した脊髄損傷を伴う労災に対応していた美唄労災病院が母体。2008年に北海道中央労災病院(岩見沢)と統合されたのち、脊髄損傷医療を中心とした北海道中央労災病院せき損センターとして分院化され、2016年に改称された。現在は交通事故などで脊髄損傷を負った患者の手術からリハビリ、社会復帰のケアを手がける。労働者健康安全機構が運営するせき損センターは美唄のほか、同じく産炭地だった福岡県飯塚市にある。

市外移転を視野に建て替えが検討されている北海道せき損センター。国内有数の専門医療機関の一つであると同時に、住民の安心を支える存在でもある=美唄市
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
元美唄市民で、
美唄労災病院に勤務したことがある私の率直な感想は、
美唄市外に移転も仕方がないかなぁ~と思います。
もし自分や身内がせき損になったら、
一番先に考えるのがステミラック注を使った治療です。
今は札幌医大でしかできません。
受傷後早期にしかできません。
これからのせき損治療は再生医療なしにはできないと(私は)思っています。